戦士マヤの危機

(4)死線を越えて

 

 

  暁暗の寒さの中、久しぶりに古城の城門が開き、
対岸へ降ろされたはね橋を、三百の反乱軍が意気高く渡って
進発していった。彼等はその時、手に掲げた炬火を
必ず一度門の出口で振りあげ、その上方に逆ざまに
ぶらさがっている全裸の女の、血に汚れた姿を焙り出しつつ
振り返って見、それで思いがふっきれたような表情になって
走り過ぎていくのだった。
彼等が過ぎ去ったあと、はね橋が閉じられ、やがて夜が明けて
あたりが明るくなった。マヤはそのまましばらく放置されたが、
門番のひとりが、用が済んだ飾り物のように邪魔に思い、
その足をひとつに括り、吊りあげていた綱を切った。
死体は跳ね橋に落ち、転がってすぐそのはるか下の濠の水面へ落ち、
一旦深く沈んだが、
やがて白い顔を上にして浮き上がった。
濠の向こうから裸馬を引いた汚い馬丁が通りかかり、
その情景を見ていたが、すぐ馬をそのままにして
濠のがけを降りていき、女を苦労して身近かへそびき寄せ、
引きあげた。濡れたままの身体を馬の背中に押し上げ、
ゆっくりと去って行こうとする。
濠の向こうからその始終を見ていた城の留守を預かる兵士が、
大声でとがめた。
男はさほど悪びれる様子もなく、へい、余り哀れなので、
野へでも運んで埋めてやろうかと、と弁解した。
死体の役目はもう終わったと思っていたその兵は、
そのまま黙認してしまった。

  男はマヤと一諸にゼンダ王からこの地へ
遣わされた間諜のジャンだった。相棒のサックスは既に昨日、
王への一報のために去っていた。残った男は軍の出陣を見、
軍勢の数も数えたが、マヤに恋していたし、敵の追跡や
情報収集に入るよりも、何よりも彼女の死体を取り戻す
ことに固執した。水から引き上げたマヤの「死体」は
想像以上にむごたらしいものだったが、なお暖かかった。
蘇生するかもしれないと思った男は、近くの森にマヤの
身体を運び、乳房を縫っていた矢を折って抜いてやり、
胸を叩いたり、口で吸ったりして懸命に手当をした。
彼女は奇跡のように息を吹き返したのだった。

 

  マヤは冷え切った体をジャンに抱かれ、
次第に目の光を取り戻していった。
意識も取り戻した。苦しげな息の中で
自分の役目を遂行しようと、城で得た多くの、
将軍の反乱に関する情報を男に伝えた。
手遅れにならない内に、それらを二日行程離れた
ゼンダ王の城へ知らせねばならない。
マヤは、意識は戻ったものの、傷だらけの身に衰弱が進み、
今はとても動けない身体だった。森の中でひっそりと
死んでいく積もりだった。男は自分が脱ぎ、着せ掛ける
上着をも固辞してそのまま死を覚悟した、けなげなマヤを
敵地に置き去りにすることを悲しんだが、それ以外の選択は
現状では有り得なかった。男はマヤに、必ず迎えにくる
ことを約束して走り去った。
もっとも、再会出来るとして、それはものいわぬマヤの
野犬などに食い散らされた無残な体であるに違いなかったが。

  ジャンの任務も厳しいものだった。敵の軍は
すでに早朝進発し、道半ばに達している筈だった。男は
自分の裸馬でそれを追い抜いて、出来るだけ早くゼンダ王の
居城へ着かねばならなかった。幾つかの間道を選びつつ
男は急いだが、反乱軍の一隊に出食わし、怪しまれて
捕らえられた。その日の内にジャンは殺されたのだった。

  マヤは夕刻近く、ひそんでいる森の茂みの
あたりにジャンの乗っていた裸馬が戻ってきたのに
気付いた。マヤは彼が任務半ばで斃れたことを直感した。
どうしたらいいのか。
マヤは全身のひどい傷が痛み続け、ただ生きているだけで、
森の暗い茂みの中で一日呻いて過ごしていた。
あたりの草をちぎって噛むだけで、飢え、渇きが彼女を苦しめていた。

幸い、野犬などには見つからなかったけれど、
敵地の者にいずれ見つかるまでに、衰弱が進んで
死ぬだろう。今は立つことも容易ではなかったけれど、
高熱の中でも意識だけはしっかりしていた。
それでマヤは、ジャンの代わりに任務を完うしなければならないと思った。
よろけつつ立ちあがり、主を失った馬に近付いて捉え、
背によじのぼった。

  傷がうずき、高熱で視力も弱っていたけれど、
マヤは乗馬が得意だったし、馬の気持ちになって走ることに
長けていた。マヤは乳房の矢傷の痛み、太腿のただれた
火傷などの辛さに耐えつつ、馬の背にひたりと身を寄せ、
その貧しいたてがみをかじかんだ両手指で掴み、長い脚で
馬の腹を強く挟んで夕暮れの道を走り出した。
風で涙が切れ、目が冴えた。
高熱はむしろ風が冷ましてくれ、意識も鋭くなった。
暗くなっていたし、裸馬を操る全裸の若い女が金髪を
なびかせて原野を走る姿をしかと認めた農民はいなかった。

 

  マヤの選んだ道は大胆にも、最もゼンダ王の
城に近い本道だった。夜が更けていたし、うまく彼等の
野営地をすりぬけることも出来ないこともないだろう
という計算だった。それに、彼等よりも早く目的の地に
達するには、それしか方法がない、もう切迫した事態だった。
彼等が二つ以上の道に別れて進んでいるだろうことも
マヤの思いにはあったし、休まずに動き続けていることも考えられた。
あのネタリウス副官の指揮のもとでは、
何があろうとも不思議ではない。マヤは深夜を通して
走り続け、彼等の領分とゼンダ王の直轄地を分けている
山の麓に達した。馬も疲れていたが、マヤも全身の傷口が
開き、疲労困憊の極に達していた。点々と小さな光が
あって、敵軍の露営地らしかった。マヤは道を外れ、
険しい谷へ入って休もうとした。馬のひずめが濡れた
岩面に滑って、マヤは落馬し、気を失った。

  ネタリウスの配下の兵士が二人、水を汲みに
降りてきて、マヤと、そばの馬を見た。倒れている裸の女を見て
当然ながら欲情した。近くの村人の娘だろうと、水を汲む合間に
それぞれ犯した。月の光の乏しい闇夜に近く、マヤの
常でない全裸の姿を不審に思わなかったし、
ひどい身体にも気付かなかった。馬を苦労して捕らえ、替えの
馬として索いていった。マヤは抱かれる際に気を取り戻したが、
なお気絶したふりをしていた。
彼等が去った後、マヤは川辺に這いより、水を飲んだ。

少し気力が戻ってきた。

これから、山を越えなければならなかった。馬を失ったマヤに
彼等の露営地へ入って馬を取り戻す力はもうなかった。
馬の進める道は敵が押さえ、危険でもあったし、
出来るだけ早く彼等よりも先に城へ着かねばならなかった。
ではけものすら危険な岩場と山岨、深い森を越え、
抜けるしかない。マヤは山を知っていた。

  マヤは衰弱した身体で、休む間もなく険しい山へ
分け入った。夜の山行きはことに危険だったし、今は冬に近く、
高い露地は風が通り、寒さが厳しかった。
つい夕刻近くまでグレゴリウスの天領の森で死を待っていた
マヤだったが、寒さの中で自身の任務を思い、むしろ気力が
奮いたった。岩壁に貼り着き、矢傷でうずく乳房を潰れるほど
に押しつけ、擦り着けつつ、這い登り、越えて行く全裸の女を
見て、上空を大コウモリが舞い、夜餌を捜す肉食の大みみずく
などもマヤを狙ったが、その都度生き餌が睨み返す血色の、
大きく強い両の瞳の力に押されて攻撃を思い留まった。
深い森は葉が落ち、下生えも枯れてむしろ進み易かった。
真の暗闇の中を手探りで、勘だけで進むマヤの血の臭いを
嗅いで狼が忍び寄ったが、危険を察した女の鋭い怒りの声に
恐れ、近寄らなかった。身ひとつではあったけれど、
十頭の狼群と闘ったマヤの気迫に恐怖したのだろうか。

  反乱軍の露営地では、川辺に眠る全裸の若い女の
話が広がった。好色な兵が釣られて行くと女は姿を消していた。
しかも、抱いた兵士は血で汚れ、眠っていたあたりの岩の上も
血がついていた。兵士は上官に叱咤された。女を犯して殺した
のだろう。兵士は混乱した。誰かが気付いてあの裸馬を
篝の前に引き出し、検分した。女が乗っていたであろうその
馬の背は血で汚れていた。もちろん,誰一人として、守護神として
彼等を見送った逆さ吊りの死体が、蘇生したその女だったとの
可能性にすら思いつくものはいなかった。

 

  まだ明けやらぬ険岨な山合いに、今にも
深い谷へ滑り落ちそうな小屋があり、眠っていた初老の
猟師は戸をノックする音で目覚めた。戸を開けた男は
そばの岩壁に寄りかかって意識も絶えがちな若い女を見た。
生きているのが不思議な程に傷だらけの全裸の女は、
しかし男を見ると熱っぽい目を開け、
恥じらいも見せずに、ゼンダ王の城まで送って、
と言った。馬があるでしょう。夜中かかって山を越えて来たけど、
もう歩けない。急いでいるの。

  男は吝嗇だったし、馬は老いて、今では
自分が乗り回すのも控えていた。女と同乗したら、まず
城へ半ばも行かぬうちに斃れるだろう。
痩せたおまえならまだ乗せられるだろう。
貸してやってもいいが、と男はマヤをじろじろ見て言った。
ただでは貸せんな。
マヤはここまで、動きづめで、身体を休めることがなかった。
馬を盗もうかとも思ったけれど、自分で馬を駆る力もなかったのだ。
しかし、戸口で暫く身を休めるうちにわずか気力が戻ってきた。
瀕死の女と取引しようかという男の悪どさに閉口したけれど、
ゼンダ王の名を言いだすには余りに惨めなわが身の姿だった。
それに、十九のマヤも、以前の若い娘ではなかった。
昨夜も満員のアリーナで、三百の観衆の眺める前で
敵の兵士に身を任せた女だった。
つい先刻も数人にしたたかむさぼられた。
それを何とも思わない自分が不思議だった。

「馬を貸してくれる?でも、何も持たないわ。
私には、このひどい身体だけ。綺麗なからだではないけど、
貴方がそれでいいのなら、乗せてあげてもいい。
あなたの衣服を汚すし、
寝床に血膿がつくわよ。それでもいいなら。
ただし、
余り長くむさぼらないで。時間がないの。」

男は長い間一人で棲み  、女に飢えていたし、
傷だらけで憔悴してはいたがなお美しい裸のマヤに欲情してもいた。
それで小屋の粗末なベッドに彼女を抱き込み、存分に楽しんだ。
マヤは辛かったし、時間も気掛かりだったけれど、
谷底へ突き落とされるよりは、と思い、機嫌を損ねないように
耐え抜いた。

  ことの後、男は馬を女にやる積もりになったが、
その彼にとって高価な馬具は、鞍やあぶみなどは惜しく思い、
外してしまった。ただ、たずなだけはさすがに外さなかった。
マヤが男に揉みしだかれた、汗と体液にまみれたままの
身体で馬によじのぼるのを支え助けてやりながら、
女が素裸で城への道をゆくことを少し不憫にも思い、
最近獲った雪豹の毛皮をその腰に巻いてやった。
マヤは男に初めて笑顔を返した。
十九の娘心を多少は知ってくれたのが嬉しかったのだった。
山を降りるまでにも狭い、危険な道はよほどの乗り上手で
なければ馬を恐がらせ、振り落とされることも多かった。
この男でさえ、何度となく通った道ではあったけれど、
大層気を使い、体力を使った。それで男は自分が余り
女をむさぼり過ぎ、いやが上にも疲れさせたことを思い、
少し後悔した。女の躯はそれでなくとも、
もう長い乗馬には耐えられないだろう。
どうしてこんなに急ぐのか、
身体が少しはましになるまでここで養生できないのか。
男は、しかし女がその身体を隠すには余り役だたなかった
白い雪豹の腰布をひらひらさせて、山道を意外に上手に
馬をこなし、下って行くのを見て少し気が安らんた。

 

  グレゴリウス将軍の、謀反の兆しはないとの
報を三日前に戻ったサックスから聞いていたゼンダ王は
気にいっていたマヤが将軍の古城へ潜入したあと
連絡を絶ったことも聞き、心を痛めていた。
その日の朝、
王宮に将軍の謀反出兵の報を携えた間諜が帰着し、
王との謁見を請うているという。その間諜の名を侍従から聞いた時、
王はわが耳を疑った。すぐ、緊急出陣のための兵の参集を命じ、
武装着衣の準備をさせつつ、ゼンダ王はマヤに会うために
回廊を急いだ。

  その報告者、誉れの剣士マヤは、床に敷かれた
厚いじゅうたんの上に、氈布を被せられて仰臥していた。
王がその近くに立つと、うっすらと目を開け、起き上がろうと
した。そばに控えた王の医師が驚き、介助しようとした。
王はマヤのやつれ切った顔を見て、そのままで良いといった。
苦労したのであろう。何なりと、おまえの見聞きしたことを
言ってみろ。身体に障るのなら、言わずとも良い。
今は養生することだ。
マヤは氈布を退けてその場に片膝立ちし、
反乱軍の規模、そして現在の予想位置などを細かく報告した。
それで、彼女が山を痩せた馬で駆け降りた時そのままの、
素裸の身に、雪豹の毛皮を腰に浅く巻いただけの、
汚れ、傷ついた身体であることを王は知ってしまった。
一刻も早く、王に緊急の報告をしたいために、
マヤ自身がそれを望んだのだった。

  王はマヤの凄まじい血や汗の臭いと
埃っぽい気が立ち昇る裸の躯を見るうちに、彼女と
同時にかの地へ遣った二人の男の関係を思い、
マヤの受難の真相を知ったと思った。
先に戻った一人が、彼女を敵に売ったのだ。
既に姿をくらましたサックスはジャンに女を奪われ、
逆上したのだろうか。
マヤはもちろんそれらを知ろう筈もなかった。

最後に付け加えて、彼女は自分の任務に際して、
助力を惜しまなかった山の猟師に
若い馬を一頭与えてやって欲しいと願いあげた。
王がそれを許したのを聞いたマヤは、この一週間来
初めて心から満足感を得た心地がした。
くたくたとその場にくずおれて気を失った。

 

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