戦士マヤの危機

                          (2)斎儀の贄

 

  古城の前庭に広がるローマのコロセウムを
摸したアリーナ、闘技場の観覧席にはぞくぞくと戦闘の
装備をした兵士たちが詰めかけている。
ここでグレゴリウス将軍を慕って集まった兵士たちの結団式が行われる。
そして、その式の前斎の儀として、ちょっとした趣向があるらしい。
何か、下手な模擬闘技でも見せられるのか。
兵士たちはいぶかしみながら、正面に静かに
ひろがるアリーナの石畳を見ていた。
まだ日の出までは二時間以上ある。

  初冬の早朝、風はなかったが、やはり厳しい寒さが
厚い装備の全き彼等を時に身震いさせた。せっかくの
満天の星は周囲に赤々と炊かれたかがり火で見にくいほどだ。
やがて華やかな雉の羽根を飾った大きな帽子を被り、
赤と黒の軍服にマント姿の将軍が拍手と共に正面に座を
占めたあとすぐ、長円に造られた広い場内の、ひときわ
明るい炬火の燃える、戦闘士の入場するあたりに、
白い人影が引き出された。三百を越える兵士たちが
一様にそれを見、思わず声を発した。

  それは若い女だった。しかもこの寒さの中、
観衆の視線の中で胸までふりかかる乱れた金髪の他
何ひとつ身にまとうもののない、素裸だった。
後ろ手に括られたまま、その白無垢のほっそりとした躯を
見た目は何恥じらう様子もなく、すくと姿勢を伸ばし、
周囲のいかつい兵士たちで埋められた観客席をすずやかな目で
眺め回しすらしたのだった。

「おお、おお、」

見守る男たちの声がアリーナをどよめかせた。
何者だ、あの女は。手足の長い見事な肢体は
カサーニヤの曲芸師か踊り子でもあるのか。
ここで淫らな裸か踊りでも披露するのか。いや、
この格式の高いアリーナではそんな前例はない。
闘いの直前は血生臭い犠牲を捧げるのが通例だ。
そういえば、噂では敵の、ゼンダ王の回し者が昨夜
捕まったという。
ではこの女なのだ。なるほどきれいな裸身ではあるが、
遠目にも鞭や打ち身の傷痕が生なましい。女はいけにえに
されるのだ。ここで、血を流して惨くも殺されるのだ。
何という趣向なんだ!しかも、女の美しさはどうだ。
そのむごいまでの状況で怯えも、こんな場面で全裸を晒す
恥じらいすら微塵も見えない、ふてぶてしい程の態度はどうだ。
ひとり敵の城に忍び込むという大胆な女にせよ、恐怖を、
羞恥を全く知らぬはずもないだろうに、あの若さで。
では、拷問と、その末のむごい死を予見し、絶望から狂ってしまったのか。
無理もない。哀れな女!だが、美しい--。

  やがて女の後ろに立った、アリーナに属する
吏員が大きな声を張り上げた。

「見よ、この女は敵の賎しき間諜、ゼンダ王宮廷の
堕落し尽くした淫風をこの城へ持ち込もうとした淫らの女、
昨夜将軍の寝所へこの姿で忍び込み、何物かを
盗みだそうとして捕らえられた……。」

女の顔が少しゆがみ、しかし満場が湧いた。
おい、まっ裸で城へ這入ったとよ。やはり気狂いだ。

吏員はざわめきを押さえ、続けた。

「今日、我々の輝かしき出陣の前途を祝って、
この女の汚ない躯を血みどろに苛み尽くし、その血を
前途に振りまこうぞ。将軍の忠実なしもべ、精悍な
けだものども十匹が女を屠って呉れるだろう。見よ。」

言葉が終わると同時にアリーナの両翼から獣どもの
唸り声がくぐもって聞こえた。檻が開けられたのだ。
この闘技場へ通じる地下の狭い暗渠から懸命に
走り込んで来るのだろう。女はそれを聞いて一度、ぶるっと
痩せた裸身を慄かせた。無理もない。寒さもあるだろうが、
自分の酷い運命を改めて確信したに違いない。しかし、
取り乱すかと思われた女はさほどでもなく、
落ち着いていた。くるりと首を後ろへ捻って
何事か叫んだ。こう言ったのだった。

「早くして!手を自由にして。約束でしょう?」

何という気丈な!女はこの時に至ってもなお冷静なのだ。
だが、手が自由になったところで、何になるだろう。
後ろの兵士の方があわてていた。急いで女に近寄り、
強く結ばれた麻のひもを解こうとする。うまくいかない。
獣どもの咆哮が一段高まった。腰に挿した小ぶりの剣を
あわてて抜いて女の手の間に差し込み、揉み切った。
女の手首がそれで浅く切れ、血が噴いた。女の身じろぎが、
その痛さからだろうと思ったのが男の間違いだった。
女の強く後ろへ振った片足のきびすが男の股間を
激しく蹴りあげた。
「ぐっ、--」
男はたまらず小剣を落とし、その場にしゃがみこんだ。
落ちた剣を女は素早く奪い、身をひねって座り込んだ男の
首筋を深く切り裂いた。多量の血が吹き上げた。アリーナは
目前で起こった予想外の光景に大きくどよめいた。何と、
裸か女のやることよ。

  既に獣どもの一群れはその近くに達していたが、
兵の血を全身に浴びて凄惨な姿に変わったマヤは
その倒れた場所から走り出て、むしろ獣群を挑発するように
迫っていった。小剣を逆手に構え、腰を引いて、剥き出しの
腹へ噛みつかれないように前かがみに、唸りたける狼どもを
睨みつけ、一歩も引かない。ずるっと擦り足で前に出ると、
敵は怯えるようにさがった。マヤはアりーナの左翼へ向かおう
としている。反対側から来た一群の敵は皆、既に兵士の
身体に気を取られて、その手足を奪い合っている。
マヤの近くの群れもそれに気付き、やはり返り血にまみれて
おいしそうな女に未練を残しつつ、後ろの死体の争奪戦へ
向かうものもいる。マヤは飛びかかった一頭を身近かで受け、
小剣を振るって斬り捨てたが、後ろに回った一頭に背中を
襲われた。びりびりと白い背中が鋭い爪で裂ける。更に
浅く肩を噛まれたが返す剣で顔面を突き刺した。
力を失った敵をぶるっと身ぶるいするように振り落とし走った。
追う一頭がマヤの太腿に絡み、噛みついた。マヤは
足を取られて激しく倒れ込み、ぐるぐると転げ回り、
苦しみつつ剣で突き、離そうとする。が、敵も必死だ。
別の大きな敵が二つのいきものの熱い闘いを見守っていたが、
一瞬の動きの隙をついてその白い細腰の脇にがぶり噛みついた。
マヤの押さえた悲鳴がアリーナに響いた。

  一人の兵士がいけにえの女にうかつにも
武器を奪われ、殺されたことで、前斎儀の担当兵たちは
戸惑い、騒然となった。ネタリウスがすぐ来た。
何だ、一昼夜かけた拷問で、女は少しも弱ってはいないではないか。
兵の死体を引き上げるんだ。士気に影響するぞ。
それに、
奴は逃げる恐れもある。出入口を押さえるんだ。
そうだ、弓兵を呼べ、多いほど良い。逃げ出すまでに射殺すんだ。
いいな!。
弓兵がアリーナの観客席に駆け上った時、
既にマヤの姿は見えなかった。四頭の狼の死体が
そこには転がっていた。生き残ったけものどもの凄惨な
死肉の奪い合い、喰い合いが始まっていた。
マヤが走り込んだゲート近くで見た兵士たちは興奮が
覚めやらない様子だった。たいした女だ。至るところ咬まれ、
ひどい傷で、あれでよく逃げられたものだ。
その兵の上官は、彼等がいけにえをみすみす見逃したことを
叱責しつつ言った。
やつは城からは抜け出せまい。濠は深いし、壁は
切り立っている。
そして兵士の全員に城内へ展開し、
逃げた女を捕らえるようにとの命令が下った。
出来れば殺さず、アリーナへ引き戻すように。

  深傷を負った獲物を追って、皆は喜々として
広い城内に散った。こんな簡単で、楽しい狩りも珍しいだろう。
獲物は弱っていて、抵抗するかもしれないが、
あんな小剣で何が出来るか。しかも綺麗な、裸の女だ。
捕まえたら、一度ならず犯して、楽しむことも出来る。

夜が明けて、一日が過ぎ、夜が迫った。
皆の期待と予想に反して女は見つからなかった。
外部へ続く正面の跳ね橋は終日揚げられていたし、
周囲の濠へ落ち込む高い壁は朝までに
一尋おきに兵が貼り着いて監視を怠らなかった。
女が城にいることは間違いない。どこか、暗い壁の
凹みの中でひそむうちにも疲労で衰弱し、
死んでいるのではないか。既にアリーナから
足を引きずりつつ抜け出た時に、女はぞっとするような
深い傷を、しかも幾つも負っていた。
流れ出る血も尋常ではなかった。
もっとも、女はすぐ止血に成功したらしく、狼群が
駆け抜けた暗い暗渠の中で血の跡は途絶えていた。
もちろん城内に何頭も飼われている狩猟犬も引き出され、
探索に使われたが、無駄だった。
女はどこへ行ったのか。

  ネタリウスは部下に命令した。
女はひどい出血で、水を求めている。生きていれば、
水の近くに行ったはずだ。
三つある枯れ井戸に兵士が入ったが何もなかった。
また、副官はこうも言った。
狼も女の行動を解く鍵だ。つまり、狩猟犬は狼を恐れていて、
その臭いの近くへは寄らないという習性がある。
女はそれを知っているのかもしれない。でなければ
犬が女を見つけないはずはない。
狼の檻のある北の陣地が徹底的に調べられたのは
夜近くになってからだった。外濠に通じる、狼どもの汚物を
溜める升を覗いた若い兵は、泥の中におびただしい髪が
浮いているのを見た。ひどい臭いに耐えつつ、
それを掴んで引き上げた。人間の頭がついてあがって
きたのに驚いた。死体だと思った。しかし、升の深さは
さほどではなく、それは赤い目を開き、男を睨んだ。
肩が出るまでに男は凍りついた。女の持った剣が
汚泥を裂き散らして現れ、男の喉を突いた。

 

  マヤは渇いていた。まさか、狼の糞尿で
喉を潤すことは出来なかった。男の喉から噴き出る血を
ごくごくと飲んだ。腿を裂いて生肉にかぶりついた。
われながら、狼に近付いたと思い、マヤは自身浅ましく
思った。衣服を奪おうと思ったが、近付く人影でそれは
果たせず、再び息を吸って溜め升に沈んだ。死体に驚いた
二人目の兵士が大声で仲間を呼び、マヤは飛び出した。
男に飛びつき、背中から心臓をひと突きして倒した。
夜の闇を待ち兼ねていたマヤだったが、それを目前にして
逃げ回らねばならなくなった。あちこちで呼応する叫び声が
こだました。城内は兵で満ちていた。
ああ、逃げられない。
捕まるだろう。
しかしマヤは走り、目の前の高い壁に
阻まれた。小剣を口にくわえ、壁へ飛んだ。辛うじて
上端に指がかかった。身体を振り捩ってせりあがろうと
するマヤの正面に、にたにた笑う兵士が立った。
「おい、手を貸してやろうか。」
壁の上端に掛けた手指を硬い靴で強く踏みつけ、ぐりぐりと
にじる。マヤは呻いた。手が外れ、ずるずると壁を滑り
落ちそうになる。上の兵士が片手を掴んで支えた。
顔を近寄せた兵士がおお、臭え、と動きを止めた。
その隙をつき、空いた手に掴んだ小刀でその足を払った。
うずくまった男を乗り越え、更に走った。
まだ外濠までは距離があった。
大きく敵の影を迂回しつつ走り続ける間にも無数の剣が
身近かの空気を裂き、実際に裸の躯を裂いた。
しかしマヤは止まらなかった。止まれば囲まれる。
動き続けなければ殺される。
既に夜だったが、多くの炬火が集められ、
マヤは闇に紛れることが出来なかった。
兵士たちはマヤの新しい傷とひどい疲れを知っていたし、
いずれ逃げられないことを知って、すぐには捕らえず、
包囲をせばめていた。
マヤは、激しく、肩と胸で嘔吐するように喘ぎつつ、
火のような赤い目を剥いて逃げ路を捜した。
逃げられんぞ、諦めろ。
がんと長刀の衝撃が右手に来て、マヤは剣を落とした。
正面の兵の刀をかいくぐって体当りした。
マヤの手指が男の両目を潰した。

だがそれまでだった。

後ろから数人が乗りかかり、
押し倒し、折り重なった。動けないマヤの首に
太い縄が掛けられ、強く引張られた。マヤは締まっていく
首縄に片手を掛け添えて当面の苦しさを逃れたが、
そのまま地面を引きずられ続け、どん、と立ち木の根に
腰を打ち付けた。衝撃と激痛でぎゃっと悲鳴を漏らした
マヤの気力が萎えた。逃げられない、と観念した。
動かなくなった女の腹や腰に更に蹴りが入った。
右に左に転がり、引き回された。
おお、この人喰い猫め、しぶとかったがとうとうくたばったか。
何人殺した?。このままじゃあ、臭くて抱けもしねえ。
汚ねえやつだな。
吊れ、吊れ!
そんな声をマヤは聞きつつ、意識を失った。

 

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