マヤ・パピヨン
(7)サン・ベイズ

牢の日中はうだるような暑さだった。
前に居た牢とは格段に居心地が悪かった。真耶は砦の中を
走り回った経験から、多少はこの監獄の構造を知り始めていた。
この牢は南の城壁に隣接していて、日に焼けた壁の熱がすぐ
部屋を襲うのだ。大抵は体温以上になって蒸し風呂の観を
呈する。そんなとき女囚たちは思い思いの相手を見つけて、
裸になって抱き合う。お互いの汗が膚に心地好い。夜もまた
寒さをしのぐために同じことをしたが、眠る前に相手としばし
快楽をむさぼり合うことが昼と異なっていた。前の房の倍を
越える女たちがおなじ広さの床に寝ると余裕はなく、しばしば
真耶はひとり横たわる場所もなく壁に背をもたせて丸く身をこごめ
眠ることになった。それも皆の排泄物で汚れ切った下水のそば
しかなく、最初のころは悪臭や穴から這い上がってくるうじや、
むかでなどに悩まされた。まどろんでいる間に故意にそんな
巨大な毒虫を髪や肩に置かれたりすることもよくあった。
一度は数人がかりで股を裂かれ、むかでを腟に突っ込まれた
こともあった。幸い手が自由だったので、最初の恐慌をともかく
気力で押さえ、手を突っ込んで引き出すことが出来たのだが。
いつも噛まれると跡が赤く腫れ、まる一日疼きがおさまらなかった。
そんな悪戯を避けることもあり、弱りがちな足腰を維持する意味
もあって、真耶はよく牢内を歩き回った。

  真耶の「制服」は最初の日の「私刑」のあおりで
腰をひととおり巻くほどの幅も長さもなくなっており、残片の中では
幅のあった二枚を前後に当てて垂らし、低く両脇で括った。
プラヤ・コロラダの海岸で見かける最新のトップレスビキニの
ようじゃないか、と看守が嬉しそうに目を剥いた。全体として
露出度は極限近くに増したけれど、ただ、叢丘のあたりや、
セックスを隠すことではカルメンなどとさほど変わらなかった。
真耶自身ひとり全裸に近い姿で居なければならない屈辱に悩んだ
けれど、慣れれば何でもなくなるものだ。そんな真耶を看守たちは
格子の向こうでよく眺めていたが、女たちも彼女に惹かれるのか、
いつも何人かのねっとりした目が彼女を見詰めていた。昼間は
なかったが、夜などは真耶をひとりにさせておかず、カルメンたちに
遠慮しつつも、誘って抱くことが多くなった。誰の誘いも断らない
真耶の孤独は、次第に癒されていった。

  殊に暑い日の昼下がり、汗を滴らせながら歩き回って
いた真耶は牢の一番奥、暗く暑くまた臭気と虫どもの多い最悪の
場所にひとり、横たわって苦しんでいる様子の女に気がついた。
以前は真耶の居場所だった。並んで座ったこともあったが、
真耶が次第に皆に受け入れられて行く間もこの年上の、四十過ぎの
小柄な黒人女――あとでドゥラという名だと分かった――は誰とも
交わるのを見たことがなかった。真耶は大抵が受け身だったから、
このような静かな女と話をすることもなかったのだ。真耶は気になって
その女の前に、相当汚れた床だったが、ひざまずき、話しかけた。

「どうしたの、苦しいの?」

そっと手を肩にやって揺らせると女は濁った目を薄く
開いて真耶を見た。熱にうなされている目だった。暑い、
水が欲しい。真耶は可哀そうにも思ったが、水は向こうの
牢でも与得られなかったし、二度の食事で癒すしかないことが
分かっていたので、看守に言っても無駄だと思った。真耶は優しく
汚れた彼女の衣服を脱がせ、その場に寄り添って胸を合わせて
抱いてやった。脱がせて初めて真耶は彼女が全身をひどい
疥癬に侵されていて、だからこんな時にも抱き合う相手がいなかった
ことを悟った。皮膚を侵されると汗も出にくくなり、暑さもまた
耐えられないものになるのだろう。一度はためらいのあった真耶も、
老女がそれを信じられないもののように惧れつつも、相手の汗に
まみれた白い肌が自身のかさかさした躯に密着し、その熱を吸って
いくときの快さで悦びにあふれた表情を間近かにみるうちに、
彼女自身心からの満足感にひたりきったのだった。女は赤みを
帯びた目から涙をあふれさせ、感謝の言葉をつぶやいた。真耶も
返した。何でもないことよ。またいつでも抱き合いましょう。女の首に
出来た膿、それは多分むかでに刺されたあとだったのだろうが、
を舐めてもやった。女も真耶の汗を舐め、おいしいと言った。

  急に真耶は髪を掴まれて女から引き離され、
持ち上げられた。カルメンの仲間だった。「何をしてやがんだ。
妙な趣味を持ってるじゃないか。おい、淫売!全身汚い白こけで
剥け爛れるぞ、勝手なことをして皆にうつし回られちゃあ困るんだ。」

脇の女二人を振りほどいた真耶は半裸の老女が足で
蹴り回されているのをかばった。

「誰もが暑いのよ、彼女はあんな身体だから、私達よりもまだ
暑いのよ。抱き合うのをやめろなんて言えないわ。」

「白こけのやつらは白こけ同士で抱き合えばいいんだ。おまえは……。」

「だから、嫌なひとは抱かなきゃあいいのよ。私からは行かないわ。
きれいな肌のひとへは。でも、水浴びも、シャワーもない。日光浴も出来ない
私たちは、皆、いずれ避けられないのよ、こうなるのが。」

そう言うと、真耶は思いついたように入口の鉄格子に寄りつき、
看守を呼んだ。真耶が呼ぶと看守たちは必ずすぐやってきた。
間近にきれいな乳房を見る楽しみを拒みきれないのだ。

「ねえ、みんなひどい皮膚病なのよ。水浴びをさせて、せめて
月に一回でも。そして日光浴をさせてほしいの。お願い。」

二人の看守たちは真面目からは遠く、ならずものといった方が
近い種族だったが、時にはわけの分かる対話もできた。

「そりゃあ気の毒なこった。でも、マヤ、おまえさんがひどいことに
なったらこちらも楽しみが減ることではあるが、そうでもなきゃあ、
水浴びなんぞとんでもねえってこった。世話の人手もたんといるこったし、
第一、水が足りねえ。残念だが諦めてくれな。」

もちろん通り一片の要求が通ることなどあろうはずはない。
しかし真耶は真剣だった。

「みんなが患ったら、私も一緒なのよ。こんな狭い部屋じゃ。ひどい
身体にならないうちに私を抱きたいとは思わない?取り引きよ。」

とうとう真耶は言ってしまった。自分でも呆れている。しかしまだ悪い
冗談だと思っている。案の定やつらは乗ってきた。

「抱かせてくれるってえのか。なら考えんでもねえな。いつだ、いますぐかい。
髄分男断ちが続いたのでその股ぐらが灼けて、どうしようもないんじゃねえかい。」

「早く、そちらが行動してくれなくちゃあ。」

男たちは去っていった。もちろん彼等の一存で出来るものではない
のだろう。しかし、こちらに分があることは確かだ。余程の凶悪な
重罪人でも、近代の法治国であれば、一応の健康を維持するための
日光浴くらいは当然の権利なのだ。もちろん風呂なども。真耶は、
当然ながら自分の躯を代償にまでする気はなかった。カルメンが
憎々しげに真耶に毒づいた。

「やつらの言うとおりだよ。この女、とうとう本音をだしやがった
じゃあねえか。おまえだけいい目はさせないよ。」

真耶は取り合わなかった。なぜかカルメンもそれ以上の手出しを
しなかった。真耶を無傷で看守たちに売ってでも水浴びが出来れば、
と計算しているのかもしれなかった。

  次の日、五、六名の看守が真耶の牢の前に来た。
半数づつ出ろという。皆は期待にざわめいた。カルメンを先頭に
序列の前半分の十人が賑やかに出ていった。一時間近く彼女たちは
戻らなかった。長すぎる、と真耶は嫌な予感を押さえつつ静かな牢で
待ち続けた。

  カルメンたちは皆、全身を赤く日照らせ、熱気に冒され、
立つのがやっとといった体で戻ってきた。真耶を毒づく語気も迫力が
なかった。中には本当に意識を失っているものもいた。
おまえが悪いんだ。日光浴をなどといったから、ひどい目に遭わされた。
水など一滴もなく、一時間も日に晒されたんだ。真耶は事情が分かった。
なお看守たちは残り半分の女たちを追い立てて「職務」を遂行しようと
している。真耶は、残りの女たちが体力も衰えた者が多いことから、
これは危険だと思った。皮膚病に悩まされている彼女たちは、本当は
これが必要なのは確かなのだが。案の定、彼女たちは戻って来た同僚
たちの惨状を見て尻込みしている。

「看守さん、病人のようなひとが多いんです。熱帯の太陽を直接
受けたら十分でもきつ過ぎるわ。いつもこんなあなぐら暮らしだし、
たまには身体のためにも明るい場所で、と言った積もりなんだけど、
程度があるわ。手加減をしてくださいな。」

気短かな大柄のクレオールが怒鳴った。

「いちいち文句の多い女だな。嫌ならやめるまでだ。これだけ人手を
集めてるんだし、こっちも早くやっちまいてえんだ。どうなんだ、来るのか、
来ねえのか。」

真耶は牢を出た。昨日真耶が抱いたドゥラもついて来た。
あとは来なかった。看守たちは舌打ちしながらも、もう文句はいわず、
二人の前後になって追い立てた。小柄なドゥラは歩くことが久しぶりらしく、
よろけながら真耶によりそって懸命に歩を進めた。

  鉄製のドアを開けるとかなりの広さのバルコニーのような
場所だった。ただ、やはり天井を含めて鉄格子で囲まれており、
囚人のための施設には間違いなかった。二人が過ごすには
ゆったりしていたが、カルメンたち十人がはいって皆が寝転がれば
足の踏み場もなくなるだろうほどの広さだった。真耶たちが太陽に
晒されたあとすぐ、後ろのドアが締まった。すでに足の裏が焼けるほどの
暑さが二人の全身を襲っていた。しかし真耶もドゥラも久しぶりの
太陽の輝きを快感として受け止めた。真耶の勧めでドゥラは衣服を脱いで
疥癬に侵された肌を日に晒した。せめて十分後に終えてここを出ることが
出来れば、と真耶は思った。このひとときはずいぶん楽しい思い出に
なるのだろうけれど。しかしその不安を真耶も、ドゥラもお互いに
口にしなかった。


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(8)仲直りへ続く 

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