マヤ・パピヨン
                        
(4)悪魔岬

 

  大アマゾンに次いで南米第二の大河オリノコの広大なデルタは、
十五世紀の末にコロンブスの船団がしばし停泊した地点を含む、
入り組んだ長大な海岸線を持つが、二十世紀の今になっても人跡は
稀れで、近代的な港はおろか小さな漁村すら皆無であり、後背地は
開発の手がつかない広大な湿地帯や奇怪な荒野、原生密林などに
覆われている。この地域で近代的な町は河口から二百余キロを
さかのぼった内陸部にはじめてシウダ・グアヤナを見るのみである。
大西洋を望む海岸線は、多く船舶を寄せつけない切り立った隆起層の
断崖が続く。そのなかにひとつ、奇妙に突出した名もない岬があり、
尖端に何世紀も年を経た赤い煉瓦作りの城砦がひっそりと築かれて
いるのを知るものは余りいない。その築造についての由来も、当初は
あったに違いない名称もすっかり長い時の流れに埋没して忘れ去られた今、
あたりを通う船乗りたちはそれを「悪魔の岬」と呼びならわすようになった。
この名前が、ここから約千キロばかり海岸線を東に辿った海に浮かんで
いる小さな仏領の島、つまり二世紀近くに渡って大西洋の向こうの植民
主権国から送られてきた、政治犯たちの流刑の終末地として名を馳せた
「悪魔島」からの連想であろうことは誰しも想像がついた。
つまり「悪魔の岬」は現在、共和国政府による重犯罪者たち――もっとも、
政治犯とかの大物でなく、麻薬密売などのけちな罪人が殆どだったが
――の監獄として利用されているのだった。

 

  「悪魔の岬」が犯罪者たちを閉じ込めておくのに
まことに適していることは誰の目にも明らかだった。すなわち三方を
取り巻く百メートル近い断崖絶壁と、眼下の青い海を遊弋する鮫の群れ。
もちろん見渡すかぎりの水平線に島などは見られない。視線を後ろに
転じれば、岬の突端から一キロ余の、岩と砂ばかりの橋がかりめく
狭隘な半島部をなす荒野に続く湿原と緑の深い密林は、けものみちすら
ない、風も通さない熱帯植物群の高密度に繁茂する樹木帯であり、
危険な猛獣や毒蛇などが多く棲み、網の目のように暗い水路が走る
闇の底にはワニやピラニヤなどの肉食の生物も潜んでいるとされる。
余程奥地へ入り込むと原住民の部落はあるが、文明との接触はなく、
よそものに対して危険な敵性を示すともいう。ともかく、この監獄は
出るにも入るにも至難な、孤立した場所だった。この場所にアクセス
するには、海路を除けばただ、空路しかなかった。

  一週間に一度、ほぼ定期的に小型のヘリコプターが
砦の屋上の平坦な屋根に作られたヘリポートを利用して、ここで
必要な生活物資材などを届けている。監督者の交替や、もちろん
新たな受刑者たちもそれに乗って送られてくる。今日は滅多にない事で、
二人の新参者が降り立った。二人とも女性で、裸に近い姿のものもいる。
眼かくしされたまま、出迎えた三人の小銃を肩に掛けた看守に腕を
つかまれ、屋上に付随した小さな塔の開口部から階下へ降りていった。
はるか地平線まで広がる大密林の彼方へ沈みつつある夕日が、
凄惨な赤みをあたりに散らしていた。

 

  二人の受刑者である女は、おぼつかない足取りで
急な石の階段を降り、そこで目隠しを外された。もうこの監獄が
どんな地形の場所にあるかということを見ることは出来ない、
暗い建物の内部に入ったということもあるけれど、隔絶した地で
勤務する好色の看守たちが早く女たちの顔を見たいという欲求も
多分に作用していたはずだ。一人は小肥りのクレオール、インディオと
白人の混血だということがその簡素な上下の服装から見当がついている。
案の定、まだ若いが怯え切った貧相な泣き顔は魅力のない、不美人と
言い切っても間違いではない。もう一人はすらりとした、はだしのままで
背丈も十分な黒い長い髪の、形のいい上向きの乳房もあらわな、
不思議な白い膚の女だ。くびれた腰で引っ掛けたジーンのショート
パンツから剥き出された見事な脚は絶品ともいえる。そして顔は、
何国人だ?。白人ではないが端正な、不機嫌な表情の中になかなかの
負けん気と意思が感じられる。裸の身を恥じる様子がないのは娼婦かも
しれないが、それだけにセクシーで、大変な魅力の女だ。何かが
起こるような気がする、この女のせいで。

  真耶は看守たちの無遠慮な視線を不快に思いつつ、
自分がヘリに乗ったときには既に隣席にいた、この自分と同じ
運命に陥ったらしい女を、初めて身近かに見て強い関心を抱いた。
どんな経緯でここに連れ込まれたのだろう。それにしても、彼女が
一応は服装を整えて、靴すら履いているのが真耶には大変不満だった。
私は裸に近く、しかもはだしのままなのだ。ともかく衣服を要求しよう。
薄暗い廊下をしばらく歩かされる。ある部屋の扉の前で真耶は待たされ、
先に混血女が看守ひとりと入っていった。五分もたったろうか、突然
泣き声と暴れ回る物音、それもすぐやむ。何事が起こったのだろうか。
愉快なことではない。同じことが自分にも起こることを覚悟しなければ
ならないだろう。真耶は顔を曇らせた。横の看守が真耶の反応を
嗤い顔で無遠慮にながめる。そんな男を真耶は逆ににらみかえしてやった。
やがて、入れ、とドアの向こうから呼ばれた。

 

  所長だ、と正面の大きなデスクに腰を据えた老年近い
魁偉な容貌の男を、看守の一人が紹介した。所長は真耶に強い
印象を持ったようだった。無遠慮に眺め回すのは看守と同様だ。
真耶は怒りが込み上げてきた。何か話し出そうとした所長の先を
制して叫ぶように言った。。

「どんな権利があって外国人である私をこんな目にあわすの。
ベネズェラって国はこんな非常識な、犯罪的な国なのね。ここが、
どんなところなのか想像もつかないけれど、あなたも一応公務員で、
地位のあるひとなら分かるでしょう。大変な国際問題になるのよ、
あなた方のしていることは。ともかく要求します、日本領事館と
連絡を取ることを、そして、人並みの待遇も。少なくも衣服としばらく
安らかに眠れる場所を!」

所長と呼ばれた男は真耶の怒りに赤らんだ顔を冷ややかに
眺めていたが、すぐ返した。

「おまえがどれほど社会に害をなす悪剌な犯罪を犯したか、
そしてそれを取り繕うために卑劣な怪しい行為に及んだか、男を
たぶらかしたかここに詳しい報告が来ている。証拠も揃っている。
裁判も済んでいる。おまえが逆上すれば罪に罪を重ねるだけだ。
つまり、刑は更に重くなる、そう心得るんだな。おとなしくここで刑に
服すれば、やがては出られる日がくる。それまで我慢するんだ。
分かったな」

「刑に服しなさいだって?冗談じゃないわ。裁判など、なにもしていない
じゃないの。私は今朝拘束されたばかりなのよ。しかも手先に躯を
いいようにされて……。よくもそんなでたらめが出来るのね。わたしが
何をしたっていうのよ。私は、逆に海賊に襲われて、このように
不本意に裸にされ、犯され、お金もパスポートも皆奪われた被害者なのよ。
そんなひどい犯罪を追求もせずに、よくも……。あなた方は地獄に落ちるわ、
すぐにでも」

「裁判は済んでいる。ともかくおまえは麻薬を我が国内へ持ち込んだ
罪で十年の刑が確定しているんだ。さあこれで終わりだ。衣服を
要求するといったな。ここに囚人用の制服がある。その汚いパンツを
捨てて早く着替えなさい。」

  十年、真耶は茫然とたちすくんだ。しかし、すぐ後ろ手に
括られていた綱を解かれる時に少々荒れ狂った。パンツを脱ぐ
ことも拒否した。理不尽な彼等のやりかた、頑迷さにどうしようも
なく腹が立ったこともあったし、パンツを取れば彼女はもう何も
身につけていないことでもあった。しかも、代わりにここでずっと
身につけていくことになる、彼等の支給になる制服というものが、
衣服というにはまことに粗末な、極力布も、裁く手間も省いたものだと
いうことも分かったからだ。それはこの社会から隔絶した「悪魔の岬」を
いわば象徴するようなものにもなっているように彼女には思えた。

 

  少しあとに分かったことだけれど、真耶の前に、
所長に自分の犯した罪と、それに相当する刑を言い渡された女、
ミーナが悲しみの声を上げたのも、この制服に絡んでのことだった。
彼女はその時着ていた衣服と下着、全てを脱ぐことを要求され、
そのあとで制服だけを身につける仕儀になったのだ。ミーナは十六で、
まだ処女だったし、ほんのいっときにせよ男たちの視線のなかで裸に
なることにたまらない屈辱感を覚えたのも当然だったし、ましてこれからの
生活の基本を形づくる衣服の粗末さに衝撃を受けたのも、また無理は
なかった。ベネズェラの女たちはブラジルとは少しく異なって、まだ
カトリックの影響が少なくなく、女が膚をあらわにすることに抵抗が
強いのだった。

 

  その衣服は、いわば単純な貫頭衣だった。薄い
晒し木綿の、真耶の背丈にも満たない白い布で、中央に
切れ目が入っている。受刑者はこの切れ目に首を通し、
胸と背中に垂らして肌身を覆い、腰あたりに縫い付けられた
短い紐で前後を括り合わす。布幅は真耶の肩幅よりも狭いので、
静かに直立している者を正面から見る時を例外として、
比較的痩せた真耶ですら横から見れば乳房も隠し切れず、
裸と変わらなかった。上半身が小造りな真耶でも、股下の丈が
腿の半ばに達しなかったから、肉の厚い、重苦しい上半身を持つ女では
更に丈が短かくなって、ゆっくり歩いても股間を隠すのには役に
たたないに違いない。女の監獄といっても看守たちは全員男だったし、
彼等の好色な視線の前にこんな姿を日常で晒すのは真耶にも辛いことだった。
もっとも、どんな辛さも、慣れれば何でもなくなってくるもののようで、
あとで真耶が一緒になった、何年もここにいる女たちは、その衣服すら
破れ、裂けて更にひどい姿を晒して平気なようだったが。

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(5)A監房の女 ヘ続く  

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