マヤ・パピヨン

(27)インディオの村で

真耶は暗い穴の中で意識を取り戻した。まだ生きていた。最近掘られたものだ。底は小さく、手足をこごめてようやく横たわれる小さな穴だった。ぱらぱらとまだ周囲から土塊が落ちてくる。ひょっとして、熱っぽい頭で真耶は思った、この穴は自分の埋葬のための穴ではなかったか。暗いのは上に何か、粗く編んだこものようなものがかぶせてあるからだ。立てばなんなく出られそうな深さの穴だ。私が死んだと思ってこの穴を掘り、落とし込んだのだろう。しかしどうして掘った土で埋めなかったのか。それとも埋めないのが彼等の習慣なのか。いずれにせよ生き埋めにされなかったのは幸運だったけれど、真耶は今、立ち上がる力もなかった。そっと疼く右の乳房にさわり、異常に大きく腫れあがっていることに気付く。やはりあれは毒矢だったのだろうか。腰の新しい傷も痛い。真耶は満身創痍の状況で、なお生きているのが不思議だと思った。私は死ぬ、遠からず。生への執着がなくなっていた。いつもの真耶だったらしゃにむにこの穴を出る努力を始めるだろう。死ぬとはこういうことなのだ。

  しかし、真耶の意識は途切れ途切れながら夜を通して続いていた。いつも聞いていた密林のさざめきもかすかに聞いた。新しい穴だったから真耶の眠りをいつも妨げたいやらしい虫たちの来襲は少なかったし、拷問のような毎夜の蚊の攻撃もほとんどなかった。この頃多くなった豪雨が来たら、この穴で溺れるのだろうか、などと思った。朝が来た。昼過ぎにヘリコプターの爆音が聞こえてきた。どうしてあの音を無感動に聞くことが出来たのか、真耶はずっと多くの傷からくる高熱で思考力がなくなっていた。穴の中の暑さもひとつの原因だった。ぼんやりと自分がこの穴から荒々しく引き出される予感にかられ、それもいいのかとも思った。ヘリコプターが再び羽根音を高めて飛び立った。予感はあたった。穴の蓋が開いたのはそれからしばらくしてだった。

 

  真耶は引き上げられた後、自分がどんな目に遭うかということには悲観的だった。多分追っ手(の一味、ヘリコプターから降りて残った少数の男)がそこにいて、彼女を確認したあと、間違いなく今度は殺されるのだろう。そんなぞっとするような想像も今の真耶を突き動かさなかった。熱と全身の傷の痛みが生への執着を失わせていたのだろう。なるようになれといった気分だった。しかし、穴の上には看守たちの姿はなく、ただ村のインディオたちの姿だけがあった。真耶がなお生きて、意識もあることに信じられないような表情をし、彼等の担架のようなものに乗せられて小屋のひとつに運び込まれた。ハンモックではない、柔らかい沢山の木の葉を積み重ねたベッドの上に寝かされた。ひどい幾つもの傷口には彼等なりの薬が塗られ、スープのようなものも与えられた。
不思議な彼等の変節だった。真耶はこれで死なずに済むかもしれないとは思ったが、決して彼等に気を許さなかった。なにしろ二日前に自分に矢を打ち込んだやつらだ。それに、彼等の言葉が全く理解出来なかった。一度元気にして、それで追っ手に渡すのだろうか。確かに彼等の真耶に対する警戒はきびしかった。括られてこそいなかったけれど、常に周囲に見張りがついている様子だった。いずれにせよ、真耶の状況は最悪だった。乳房のひどい矢傷は腐爛がひどく、彼女を苦しめ続けていたし、何日も高熱が続き、逃げだせるような気力はなかったのだ。

  一週間も昼夜なく苦しみ続けた真耶は、周囲の手当ての厚いこともあって奇跡のように回復しはじめ、やっと身体をベッドに起こせるようになった。小屋に頻繁に顔を見せる、小柄ではあるがなかなか威厳のある中年の男が、多分この部落の族長なのだろう。他にこの小屋に入ってくる男はいなかった。身の回りの世話は十三か五くらいの女の子が何人かでやってくれている。その日、二回目の訪問を迷惑そうな顔で迎えた真耶は、男の顔にやはり共通の物欲しさが浮かんでいるのに気が付いていた。様々なゼスチュアを交えて話しかけてくる、決して軽くはない男の優しさと取れないこともないそんな態度にも、真耶には裏が見え透いているような気がして打ち解けようとは思わなかった。余りにひどい運命を立て続けに味わい、身も心もずたずたになった彼女なら当然かもしれない。男のゼスチュアの中に、時折り現れる矢が胸に当る状況、そしてそれを済まないとでもいうように首を振る姿はやはり、彼等が真耶を射たことにこだわっているような風だった。一連の真耶の扱いの激変は、単なる事故のようなものではもちろんないはずで、彼等の言葉には現れているのかもしれないけれど、ゼスチュアで説明出来るようなものではなく、何か複雑な事情が絡んでいるように真耶には思えるのだ。矢を射る姿をして、そのあと首を切る手刀の振りをするのは、まさか自分を射た男(真耶はその男を見なかった)を処刑すると言っているわけではないのだろう。真耶が多少引き込まれて来たことに男は満足したようだった。しかし、相変わらず真耶はそっけない。彼等の下心は分かっている。私の躯が回復したら、自分のものにしたいのだ。真耶の見られる範囲では、少女たちは真耶のように素裸だが、既婚の女たちはちゃんと腰布をつけている。私は未婚の女と見られているのだろうか。いや、そんなはずはない。真耶の回復を喜んでいる族長は、しかし、その夜も真耶の小屋には来なかった。
文明人よりも、むしろ彼等は禁欲的なのかもしれない。実際、病み上がりの真耶の体はなお男に抱かれ、楽しませるほどに健康を取り戻したとはいえなかった。しかしうち続いた彼女の不幸が、そんな思いをさほど異様にも思わなくなっている。裸の真耶がいて、男がいれば、性の関係は必然だろうという。ここまできたら、やはり真耶は生き延びたかった。たとえ、インディオの男たちに体を与えてでも、それがサバイバルの条件なら、彼女は躊躇なくそれをしただろう。
何にせよ、ヘリコプターの来襲の予感が真耶にはもっとも気になることだった。今度やつらが来るまでに、密林へ逃げる力が戻っているだろうか。

明くる日も族長は朝から小屋に来た。無愛想な真耶の軟化を辛抱強く待ち続ける気配だった。一人になった真耶は小屋の中で立って歩く練習を始めた。昼過ぎに、また男は現れた。真耶は煩わしく、再びベッドに座る。外から族長を呼ぶ声がして、真耶に未練っぽい一瞥を残して男は出ていった。数分後に小屋へ入って来た人間を見て、真耶は信じられない気がした。ロケス島で離れ離れになって以来のジョージ、MITの休学生ジョージ・マクガイアだった。彼女の目にずっと忘れていた涙があふれた。二人は声も上げず抱き合った。

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28)邂逅へ進む 

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