マヤ・パピヨン

(18)人狩り 2



朝、まだ明けやらぬ暗いうちに真耶たちは起こされ、
たっぷりとした食餌を与えられたあと、括られたまま収容所の
西の高い塀をくぐった。真耶には初めてではなかったが、
うんざりとするような荒野の光景だった。太陽が昇り、明るく
なった中に十人余りの銃を持った看守たちと、同数のサファリ
服で身を包んだ、今度のイベントに招かれた「顧客」が談笑しながら
女たちを待っていた。小さなくぐり戸から出てくる「獲物たち」
ひとりひとりを好色な視線で値踏みし、お互いになにやら
言い交わしながら愉しんでいる。真耶が現れると一段と
賑やかになった。露出の過剰な女の囚人服の中でも一人、
かたちだけの小さな布片で腰を低く巻いた、全裸に近い
異様な姿の東洋人で、しかも目だって若く、美人であれば
注目されるのは仕方がないのだろう。しかし、ただひとり
卑猥な野次と熱い視線を集中して浴びる真耶の気分は
愉快ではなかった。真耶は気が付かないふりをしたが、
初めて目にするハンターたちにも彼女の素姓は知られているようだった。
もちろん自慢出来る経歴ではない。彼等も真耶を好奇とともに
嫌悪の目で眺めていることが多いようだった。何度も脱獄を試み、
最近も男囚の雑居牢で半年を生き、百人になぶり尽くされる苛酷な
懲罰を受けた女。しかも平然と元の牢に戻って躯を癒し、
それからなにほども経たないのに、もう口を拭ってこのゲームに
参加するという。どんなず太い神経を持っているのか。

  最後の注意とルールが説明される。「獲物」には
三人以上の連係行動は許されない。ある程度の抵抗は許されるが、
「ハンター」に傷を負わせるなど危険と判断されたら銃が使われる
こともある。荒野のそれぞれの境界になる海と沼には入らないこと。
鮫や鰐の犠牲になるものが必ず出るし、脱走と見做され、銃が
使われても文句はないはずだ。そして一人ずつ、ダークブルーの
上下のスポーツウエアと運動靴が支給され、小さな水筒に一食分の
携帯食糧が渡されるという。思いもかけない嬉しい説明に、
女達の間に好感のどよめきが起こった。

  もちろんそんなささやかなことだけで、彼女たちに
とってのこの残酷なゲームが楽しいピクニックになるという
わけでもない。ただ、若い女が裸に近い姿で荒野を逃げ
回らねばならないという、たまらない屈辱と悲惨さから
免れたことで、気分的に多少のゆとりが出来たというだけ
だったろう。それでも、この多分に芝居めいた彼等の「施し」が
女たちに実質以上の効果を見せて、気力と笑顔を取り戻させた
ことは確かだった。真耶には他の女たちよりも更にひどい、
極限の裸身が日常だったし、逃走の経験などもあって屈辱的な
気分はもうなかったけれども、運動靴の支給が本当だったという
喜びとともに、裸の身を包む衣服が手にはいることで、炎熱下の
逃走と、長期間にわたるに違いない密林行がずっと楽になるだろう
という見通しがたったように思った。真耶の幸福は、しかし
長くは続かなかった。

  女たちは指名順にそれらの品物を渡され、あるいは
靴だけ履いて走りだし、あるものは悠々と囚人服の上からその
上下のぴったりしたスエットウエアを身につけて、ハンターたちの
汚い野次を浴びながら、十分置きに出発していった。
彼等は「獲物たち」が全部出たあと、更に十分の間を置いて
「狩り」を始めるということだった。
真耶は最後の出発になるはずで、従って、追ってスタートする
彼等との距離は最も近く、一番不利な立場だった。しかし無理に
このゲームに加えてもらった身だったし、彼女に不服を唱える
権利はなかった。そして十人目の女が緊張と恐怖に焦りながら
走り去った後、衣服や靴を受け取ろうと進み出た真耶に、
看守は冷たく言い捨てた。

「何の積もりだ。支給品はきっかり十人分しか用意してないんだ。
番外のおまえに渡すものはなにもない。早く行け。」

茫然と立ちすくむ真耶に冷笑の一瞥をくれ、更に看守は言った。

「ハンターたちはこのあとすぐ出発する。最初の獲物になれば
一日が長いぞ。」

どっと周囲が笑った。彼等の視線に同情の色はなかった。むしろ
欲情むきだしの野次が増えた。おまえには裸が似合っているんだ。
そんななりで走り回るのには慣れているじゃないか。唇を噛んで
にらみ返す真耶を平然と見下した看守は切り口上で言った。
何だ、不服なのか。それともやめるか。いずれ勝手なことはできねえぜ。
棄権者は一日、ハンター達と一緒に引き回しだ。いいんだな。
どっとまた笑いが起こった。真耶は無言のままくるりと荒野へ身を向けた。
無情な看守の追いうちが背を押した。

「行くんだな。あきれた奴だ……。」

あとのセリフは半ば真耶の想像だった。まあいいだろう。
病み上がりでも、おまえがタフなことは確かだろうが、だが
今日は昼までも到底保つまい。他の女たちに比べても過酷に
過ぎる条件だ。はだしの足がまず切れて歩くことも出来なくなる。
裸の膚や頭を焼く太陽の強烈な熱気が気力を萎させるだろう。
水もなくこの荒野をうろつくのは辛いことだし。

  真耶は悔しさをばねにして走り出した。もう一分も
無駄には出来ない。わっと歓声と罵声が彼女の後ろであがった。
俺だ、最初におまえをやるのは。待ってな!
そんな声も聞いた。しかし、十人の女たちの出発を見送った後で
それらから連想された、最後の滑稽なばかりの裸女の走りの、
ぶざまな後ろ姿を想像していた多くの男たちは、長い蓬髪をなびかせ、
あるかなきかの布片をはためかせて、身ひとつで走り去る真耶の
思いがけない見事な疾走を見て舌を巻いた。
これは簡単にはつかまらないかもしれない。
「ハンター」達はその有り様から触発されたものか、
思いだしたように出発の準備をいそいそと始めるのだった。
「おい、早目に出よう、」
誰かが言った。

 

  最初の頃に出発した「獲物」はすでに一時間と
半ばを過ぎて、懸命に走れば西の端の沼に到達している
はずだった。もちろん彼女たちは靴を履いていたから、
その気になれば何時間も走ることが出来る。薄くはあっても
全身を包んでいる衣服が直射日光を防ぎ、肌からの
いたずらな水分の蒸散を防いで、体力の浪費を押さえてくれる。
素足で全裸と変わらない真耶が水もなく酷熱の荒野をさまよえば、
たとえ何もしなくても、いたずらに体力を失い、半日と正気では
おれないだろう。改めて真耶は、いつかカルメンが自分に言った
言葉を思い出していた。このイベントは自分を罠に掛けるための
ものだという。もちろんこれくらいのことは覚悟していた積もりだ
けれど、他の「獲物」たちとの差別が余りにひどいことで情けなく
なる真耶だった。当然私は「ハンター」たちの第一の目標になる
のだろう。
ひと月前に男囚の雑居牢であれだけひどい目にあっていながら、
もう人並み以上の体力を回復させている獣のような女だ。
これだけのハンディをつけなければ、「ハンター」の口には合わぬ
だけでない。冗談でなくまた脱走を計るかもしれない。
そんなことを話しているだろう所長たちの顔が浮かんだ。そうだ、
私に脱走をあきらめさせるための策なのだ。しかし真耶は
もう決めていた。私は沼を越えて逃げるのだ。

  一刻も早く沼に到達しようと真耶は岩と砂の荒れ地を
懸命に走り続けた。まだ足は大丈夫だ。十分も走らないうちに
後ろから自動車のエンジン音が聞こえてきた。徒歩で追いかけて
くるものと思っていた真耶には衝撃だった。咄嗟に車では入れない
岩場の狭隘地へ飛び込む。四人乗りの不整地走行車が現れた。
五人が乗っている。真耶に気付かずに走り過ぎていった。真耶は
隠れ進みながらそのあとをつけていった。彼等はまっすぐ西の果て
の沼地を目指すのだろう。そこで待ち受けられれば、真耶の計画は
見直さざるを得ない。もっとも、沼の間口はずいぶん広いから、
すきをついて飛び込めないものでもないが。

  真耶の今進む場所は奇岩が多数あり、見通しがきかないために、
しばらくは身を隠していられる地形だったが、全体としてさほど
広くもない荒野では、しらみつぶしに捜索されれば、いつかは
見つけられるはずだった。現に、彼等の後をつけて大胆に
走り続ける真耶にも、岩陰や溝のなかにひそんで車をやり過ごす
女たちの姿を散見することができた。ともかく発見されないことだ。
一旦見つかれば、彼等は最後まで追ってくるだろう。しかし、
まだ午前も早いせいか彼等は「獲物」を発見しているはずのところで
おうように構えているようにも思える。
何人かの同僚を追い越す形になって、真耶はほぼ半分の
道程を進んだ。そのうち敵の車の砂塵を見失った。

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