マヤ・パピヨン
                        
(13)脱走 2

  真耶は請われても決してトップにはならなかった。シルバが
以前のようにB監房を取り仕切るのを許しただけでなく、自分は相変わらず
牢の奥で日中を過ごした。真耶自身は誰にも言わなかったが、シルバたちと
闘って勝ったことはすぐ皆に知れ渡ったし、そのことで再び彼女が立場を
良くしたことは確かだった。残る使役を真耶は二日ごとに勤め、看守たちの
求めにも断らなかった。

  シルバはA監房に長くいたし、自分でも彼等に身体を許すことが
あったのに、真耶が同じ行為をしたことを悪くいうことが以前は多かった。
彼女自身が「淫売の巣」の出身であることを皆に忘れさせたいという
動機もあるようだったが、そんなことも「決闘」の後はなくなった。
他にも変わったことは、真耶がシルバたちと最初に食餌を取るようになった
ことだった。もっとも、シルバたちはもうむさぼることはなかったし、看守が
供給する量も増えて、最後の女囚たちにも食餌は行き渡るようになっていた。

  真耶はなお再度の脱走を考えていた。そのために看守を
味方に引き入れる必要を感じてもいた。女囚仲間に同じ考えの者は
いないのだろうか。真耶の見るところでは誰も現状に閉じこもっていた。
脱走など、夢のような話だ。成功する見込みなど全くない。懲罰牢の話も
聞いていたし、一度それを経験した真耶がなお懲りずに再度の脱走を
計画していることなど誰も信じなかったろう。今度つかまったらそれこそ
一年間も独房入りを食らう恐れがあったからだ。多分、それで真耶の
生命は尽きるだろう。死なないまでも、”生きるしかばね”という、多くは
長期刑の囚人たちに多い、精神を病んだ人間になることは間違いない
というのは常識だった。もちろん真耶もそれは免れることは出来ないだろう
と思っている。だから、絶対成功させるのだ。

 

  マロニという看守がいた。真耶を何度も抱いていた。
この実直そうな若者に真耶は相談を持ちかけた。方法はある、と、この
鼻筋の通った黒人は言った。一旦、男囚の獄舎に身を潜めるのだ。
そこで身づくろいをし、準備をして逃げる。おまえ一人ではない。一緒に
逃げる囚人を作るのだ。真耶は苦笑した。冗談でしょう。ここの男囚の
監獄は女をひっかけてしけこめるほどいい加減なの。だったら皆
逃げ放題でしょ。マロニは半分真耶をからかっているようで、しかし
真面目に聞くべきことも幾分かあった。ここの脱走は、ただ獄舎から
出ればそれで成功というわけではない。鮫の沢山いる海を逃げるか、
それとも緑の地獄と言われている密林を越えねばならない。それは
一人で、それも女では到底無理な話だ。男も大抵はその日暮らしで
腑抜けになっている。脱走という危険な賭けを打つための気力が
無くなっている。女が頼って来て、焚き付ければ、当然内心にその芽を
持っている多くの男はその気になるだろう。だからこの計画は一石二鳥
以上の利点がある。マロニはそんなことを言ったが、どうしたらその
相棒になる男囚を見つけられるのかということには口を閉ざした。

  真耶にはまだ手錠が掛けられていた。脱走未遂の
囚人としてこの制約がある半年は、事実上脱走は無理だった。
しかし、そのような錠前を簡単に外す名人が男囚にいるということを
聞いてからは、その男と逃げればいいのだと考えた。もちろん彼等
そのものと顔を合わす機会がなかったし、どうしてその中の、顔も
名前も知らない特定の人間と一緒になれる時間が作れるか、それは
大層な難問だった。例え男囚の百人近い巨大な雑居房に真耶が
紛れ込んだとしても、その男が呼びかけに応じてくれるかどうかは
疑問だった。雑居房は棟の一階と二階にそれぞれ二つずつ、計
四つもあったのだ。もちろん、より凶悪な囚人がいる三階の独房に
その男がいるかもしれない。独房に真耶が入るのは論外として、
男の雑居房に真耶が入ることにも非常な危険が伴った。

  以前、女囚の脱走犯の懲罰としてそのようなことが
行われたことがあったとカルメンは言っていた。彼女もその結末は知らない。
カルメン自身がここに来るずっと前のことだ。生きていたとしても
まともな躯で出られたはずはないだろう。まして若く、美人だったら
ことはより悲惨だ。真耶もこれまで相当の経験を積んできたけれど、
そんなことを一瞬でも想像することすらおぞ気だった。まだ、一年でも
あのむかでや水に責められる地下牢に暮らす方がましだ。そうするうちに
女囚の使役に期限が来て、真耶たちのポンプ塔への日参は終わった。
身体の疲れは少なくなったが、真耶はある寂しさを味わった。例の
日光浴が再び始まったが、脱走の機会が遠のいたことを彼女は実感した。

 

  しかし、ポンプ塔の使役はしばらくして再開された。
ただし、今度はB監房の女囚はひとりずつ出るだけで良かった。看守からの
名指しにより、十人が回り持ちで出ることになる。使役の従来からの
働き手だった男囚がストライキの時にそれを要求したのだということだった。
シルバも指名されたが嫌い、代役の女が出ることになった。真耶も名を
挙げられた。懲罰期間中の女であり、当然のことと受け取ったものも
いたが、同じ房の中で彼女を慕う者は多くなっていたし、代役を立てる
ことは可能だった。多分そうするだろうと思われたが、彼女は自分自身で
受けた。手錠も外されないままだった。乳房もあらわなままで彼等の目に
さらされるただ一人の女囚として。感動する同僚たちの裏で、一部、
様々に陰口を叩かれるのも承知の上だった。女囚たちが今度の使役を
以前にも増して恐れ嫌ったのは、やはり男の囚人たちに混じって仕事を
しなければならないということにあったようだった。看守に自分の躯を
見られることはいつものことで諦めもつく。しかし、彼女たちが軽蔑する、
更に粗野な囚人どもに自分の肌身を晒さねばならないのはたまらないことだ。
女囚たちにもプライドはあったし、漠然とした恐怖がそれに加わった。
もちろん監視の中で、看守はともかく囚人に直接手を出されることはないだろうが。

 

  この監獄で男囚も及ばない脱走の経験も積み、
その男囚の監房でも身を晒した上に、地下の牢では男囚の一人に
身を任すこともした真耶にはそんな同僚たちの怯えを哂えるほどの
余裕があった。もちろんいい気分ではとてもなかったし、二度と
やりたくないことだ。しかしそれが脱走の成功につながることだったら、
敢えて繰り返しても悪くはない。真耶は計画に望みを持っていた。

  女の作業は四人の男の働き手の間にあって、力を
出さなくてもただ、ろくろに付いて回るだけで良かった。身体に触れる
こともできず、囚人たちはただ身近かに吐息をつきながら動く女の
実体があるだけで満足し、疲れも忘れて何時間もろくろを押すのだ。
真耶が出た日は歓声が湧いた。俺たちはついている、というような
言葉が出た。「マヤ」という名は既に彼等の間には知れ渡っていた
ようだった。美人で、ひとり脱走を決行し、地下の懲罰牢を経験もした。
もちろん乳房も臍もあらわな、小さな腰布だけの姿で使役をこなす
女囚は彼女ひとりだ。彼女がずっと後ろ手に手錠姿で、ろくろの横棒を
腹に受け止めて押す姿に感銘を受けたと漏らす男もいた。真耶の手首は、
その鉄環の擦り傷でひどい爛れが日常だったし、横棒の当る腹にあざが
出来ているのも痛々しかった。「マヤ」、おまえは何もしなくていい、
横で見ているだけで義務を果たすんだ、といってくれるものもいたが、
もちろん真耶は首をろくろの芯棒に繋がれたから、ともかく一緒に
動かないわけには行かなかった。

  真耶は男囚たちの、地下での作業時には脱ぐことに
なる比較的小ざっぱりしたシャツとズボンの上下の服装を見るに
つけても、おとなしい水着を着るのも躊躇される旧教の社会で
育った女囚たちが強いられている惨めな、男を楽しませるためだけの、
衣服とも言えない着衣が非常に不公平なことにも思えるのだった。
これらがすべて所長であるエンリコの個人的な趣味からきているのだと
したら、これだけでも犯罪に値するだろうと、真耶は女囚たちが日々
耐えている辛さを思い、看守だけではない、男囚たちの前に肌身も
あらわな姿を晒さねばならないこの使役のむごさを改めて実感するのだ。
真耶自身は自業自得とはいえ、脱獄囚の見せしめのひとつとして、
女囚たちの中でも特にひどい、裸に近い姿のままでいなければ
ならなかったけれど、自分でも驚くほどにも、それほど辛くは感じて
いない。看守のみならず、同僚の女たちからも羨望に近い、好色な
視線を浴びていることに快感すら覚える自分の変貌、感性の摩滅に
堕落を思い、自己嫌悪することもあった。

  それは置き、真耶に意外だったことは、使役で接する
男囚たちから思ったほど悪い感じを受けないことだった。彼等は
確かに好色で騒々しかったけれど、結局、それだけだった。。

  囚人イコール無頼の犯罪人というおそろしげな男の
集団の先入観を裏切る、看守たちよりもむしろ朗らかで親しみも
持てる彼等(どんな犯罪を犯した人間なのか。あるいは自分と
同様に無実の罪を被ったひとたちなのか。)と過ごす妙な雰囲気の
中で、好意を持たれる真耶も悪い気分ではなかったし、いつも
思っていることがつい口をついて出、自分の手錠を簡単に
外してくれる仲間の噂を聞いてみることにもなった。皆は
心当りがあるような顔をしたが、冗談めかして受け取られたことは
確かだった。実際、そんな男が今そばにいたところで、看守の
面前で真耶の手錠をすぐ外してくれる筈もなく、また、当然
連想される脱走が男囚たちにとっても夢のような、単なる
現実離れした願望に過ぎないことを真耶は改めて思い知らされた
ことだった。少なくもそのときはそう思った。男女の囚人たちの
和気あいあいといった作業の中では、看守たちもその中から
女ひとりをさらってよろしくするというわけにもいかず、真耶の
ひと夜の貞操は守られたのだった。

 

  十日後の、真耶の番がまた回ってきた。真耶は
他の女たちのようにこの夜の使役をひどく気に病んで悩むことは
なかった。男の囚人たちが自分と同じろくろを回すことを切に
望んでいるような、そんな気分とは同様である筈もなかった
けれど、少なくも最初の恐怖は薄れていたし、脱走を目論
んでいる女としては、不快ではあっても、何であれ利用しなければ
という気になっている。ともかく、真耶はむきだしの乳房や尻を
猥褻な言葉でからかわれても、今では何の感情も湧かない女に
なっていた。しかし、男たちに前後を見られて排泄が出来るほど
恥知らずでもなかった。女囚の間では出来たことだったけれど、
その夜、真耶は看守に涙声で綱を解いてと懇願した。しかし
起きていた一人は意地が悪かった。いつもそこでやっちまったじゃ
ないか、俺の目の前でな。こんな人間の屑どもよりも、俺様を馬鹿に
しているってことじゃねえか。さんざんじらし、一緒にいた囚人たちを
怒らせてしまった。結局真耶は解かれたのだけれど、暗いポンプ室の
隅にうずくまって一時の解放感を味わう間にも、その看守が後ろから
襲って後ろ抱きにし、彼女の最小限の自由を制限してしまった。

  極力真耶は作業を続ける男たちには知られないように、
声をひそめてそのけしからぬ行為を受け入れたのだけれど、
当然ながら彼等には知られてしまったようだった。不思議なことは
続いて起こった。ひととおり済ませて立ち上がった看守が、また
真耶にかぶさってきた。しつこい男だ。しかし男は真耶の”いなし”に
たあいもなく足元へ転がった。看守を一撃で倒した、真耶の後ろに
立っている男は、一緒にろくろを回していた囚人のひとりだ。
真耶に声をたてないように低く言い、倒れている看守の身体をまさぐる。
すぐ鍵の束を見つけた。部屋の反対側のくぼみにいるもう一人の
看守を注意深く見詰める。まだ眠っている様子だ。鍵の一つで男は
もう一人の囚人を解放した。それぞれ看守の小銃を持って、真耶を
階上へあがる足場へ導いた。残る二人の男は何の不満も抱くことなく
ひたすらろくろを押している。彼等は前もって打ち合わせてあったのだろう。
真耶は明状しがたい驚きで頭が空白になっているのを意識しながら
夜のポンプ塔を出た。

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