マヤ・パピヨン

(12)決闘


「ともかく、今夜からは毎晩出てもらうからね。いいな。」

シルバの紋きり台詞に、真耶の顔が怒りに青くなった。
何かが始まる、と皆は思った。真耶は抑えた口調で言った。

「嫌よ。私を眠らせない気?。そりゃあ皆に迷惑掛けたことは
認めるけど、私は何も悪いことはしていない。無実の罪を被せられて
こんなひどい目にあっている人間として、当然の行動をしたと思って
いるわ。へたくそなやり様で脱走に失敗した私はけなされ、哂われても
仕方がないけれど、少なくも皆んなは、看守どものお先棒を担いで
私を潰すことだけはして欲しくないのよ。」

くるりときびすを返して歩いていく。その後ろからシルバが言った。

「もう決めちまったんだ。今夜はどうでも出てもらうよ。」

真耶はもう振り返らなかった。監房の一番奥の真耶の場所は
大抵わざとらしく糞便で汚れている。真耶は足でそれを処理し、
座り込むことになる。それを避けても、どうせ彼女の居る場所は
他になかったし、そこに限りなく近い位置へ押し出されるのが
見えていた。座ろうとした時、近くの一人が声を掛けた。

「マヤ、ここに来たら。」

グラシアという中年の黒人女だった。真耶と声を交わすのは
初めてだった。一度おまえを抱きたかったんだ、と言う。真耶は
素直にそばに座った。後ろに回っていた腕を尻の下からくぐらせて
前に持ってくる。こうしないと安らげないのだ。グラシアはそんな
真耶をいとおしげに眺めながら言う。

「気にしないでいいよ。ここで眠ればいい。食餌時になれば
起こしてやる。今度の使役はあたいと一緒だ。大丈夫、おまえは
潰れないよ。」

真耶は感謝の意を笑みで示し、すぐ寝入ってしまった。
シルバたちは何も言わなかった。

  夜、真耶はグラシアたちと使役に出た。昼の間に眠れ、
食餌も出来た真耶は疲れも取れていて、看守の方でむしろ気遣って
くれたほどだった。おい、無理をして病気にでもなられたらこちらの
楽しみがなくなるんだ。適当に休め。もちろん他の女囚への遠慮も
あったし、気を抜くわけにはいかなかった。しかし、結局二人の看守に
一度ずつ、ろくろから外されて身を任せることになった。
作業に戻るときに何人かの女に激しくにらまれることがあって、
いつものことだったが真耶には辛かった。もう慣れ切って屈辱感は
なかったけれど、男に溺れるどころではない、快感を得るのも一瞬に
過ぎず、一部の看守がするように乱暴にむさぼってすぐ戻される時など、
ろくろを回している方がずっと疲れは少ないだろうとすら思う。果物を
もらったり、水を呑ませてくれたりという「役得」がなかったら、真耶の
衰弱はむしろ進んでいたかもしれないのだ。

  朝がきて、何事もなく五人の女囚は監房に戻った。
グラシアはよほど疲れて、その日も真耶と一緒に眠った。ふと真耶が
目覚めたとき、彼女はそばにはいなかった。悲鳴が真耶を起こした
のかもしれなかった。グラシアだった。シルバたちだ。真耶は立ち上がった。
牢の入口の鉄格子に片足を結び付けられているグラシアは裸だった。
周囲ではやしているシルバの仲間たち。

「やめなさいよ、大勢でひとりをいじめるなんて。」

格子に寄ってグラシア自身の衣服で括られている足を解こうとする。
邪魔しようとした一人の顔を真耶の手錠が直撃した。女はぎゃっといって
その場に座り込んだ。すばやくグラシアを自由にする。後ろから煉瓦で
肩をしたたか殴られた。直前に身をかわさなかったら頭が割れていた
かもしれない。真耶は正面にその凶器を持って構えているシルバを見て
落ち着いた。

「喧嘩は自信があるのかい。煉瓦は重いよ。腰がふらついているじゃないか。」

誰かが、喧嘩だ、と外に向かって叫んだ。すぐ看守が小銃を構えてやってきた。

「きまりだ。二人とも出てこい。気の済むまでやらせてやる。」

 

  私怨による喧嘩を、一応彼等は禁じているが、けりが着くまでに
発見されたら決められた場所でやりなおすことになっている。
そのときのルールも決まっている。何のことはない、非番の看守たちの
気晴らしだった。

  シルバは取り巻きの中でも大柄なひとりを自分の
身代わりに立てた。カルメンの第一の部下だったティナ、彼女から
退けられた原因としての真耶に恨みを持っているグアヒロ・インディオだ。
シルバは立ち会いに回った。真耶はもちろん自身で戦う。立ち会いには
グラシアが来てくれることになった。どちらかが負けた場合、立ち会い
人が勝者に再試合を挑んでもよかった。敗者がそれを頼むこともある。
真耶は、自分が負けてもグラシアにまた戦ってもらいたくはない、
見届けるだけでいいと言ってある。どだい小柄で動きの鈍い彼女は、
戦いなどまったく似合わなかった。

  四人は牢を出て、建物の屋上にあるプールに来た。
いつもはシルバたちが「客」を迎える前に入った水浴場だ。ここに
入ったのは何ケ月前のことだったろうと真耶は懐かしかった。結局
死ぬ前に二度目の利用が許されたということになるのかもしれない。
真耶はそこで手錠を外され、素裸にされてプールに入った。腰布は
グラシアが預かってくれた。水は今、すねが半ば浸るほどで、
そこが決闘の舞台だった。二十人を越える看守や所員たちが
見物に来ていた。どちらが勝つか、仲間で賭けている様子もある。
真耶はそれを見て戦意を失ったが、相手はぎらぎらしていた。
ティナは真耶よりも上背があり、横幅もあった。シルバは彼女を
用心棒として手懐けているといった印象で、彼女が名主になってからは、
その恵まれた躯にもかかわらず使役を免除されている。だから、
こんなとき役に立つはずだ。たっぷり食べもして体力も充実している。
シルバが闘いに出なければならなくなることはまずないはずだった。
シルバ自身が真耶よりもよほど骨太で、直接対決でも決して負けない
だろうという印象だ。背丈では見劣りしなかった真耶だけれど、
腰も手足も細く、最近の食事の不足と嫌がらせで更に痩せた印象だった。
彼女の精神力には定評はあるけれど、まず体力がもたないだろう。
万一ティナが真耶に負けたとしても、いずれ疲れ切った真耶は
シルバの敵ではなかった。真耶は殺されるだろう。ここでの闘いは
最後まで仲裁されない。体力が続けば、優勢の者の気分次第で
デスマッチにもなった。

  プールの真ん中でにらみあった二人は簡単に組み合った。
腕力で勝るティナが手を伸ばしてきたのを嫌がって逃げ回ると思われた
真耶だったが、皆は意外に思った。むしろ真耶の方からティナのふところに
飛び込んだ感じだった。ティナ自身面喰らったようだった。だから、大外刈り
めく足わざで真耶が大女をあおのけに倒した時には、もう最初の傲慢な
様子はなかった。体力のない真耶は短期決戦しかなかった。早目に組み敷き、
水を呑ませて戦意を失わせる。みぞおちに渾身のひざ蹴りを食らわせたのも
効いた。数分でティナはのびてしまった。

  シルバは息のないティナをプールのへりまで引きずって
こなければならなかった。そばの看守に蘇生を依頼し、すぐ真耶に向かって
闘いの継続を宣言する。敵の疲れている内が勝機だ。シルバはちょっと
ためらって着衣を脱ぎ、再びプールに入ってきた。

「おまえを多少あなどっていたようだ。だが、もう勝てないよ、わたしには。」

組まれたら互角以上に戦えることが分かった。あれはニホンジュードーだ。
どこかで見たことがある。だから、接近戦でも組ませないことだ。長引かせば
相手はへばる。なにしろ毎日ろくに食っていない女だ。飛び込もうとする
真耶を拳で打ち、逃げ回り、真耶の息があがって来るのを待って逆に
抱きすくめるようにして捉え、体重を利して圧倒した。水中に押し倒された
真耶の顔を水面の上から正面ににらみ据え、首を両手で締めつけ、
体重をかけて押さえ付ける。勝ったと思ったのが油断につながった。
真耶の下半身が激しくシルバを突き上げ、彼女は腕を中心にして
裏返されるように弧を描いて前方へ投げ出された。ざっと背中で水を滑って、
立ち上がった真耶との間が開いたのがシルバには良かったのかもしれない。
たいしてダメージは受けなかった。ジュードーなら一本取られて負けだが、
ここでは動けなくなるまで勝敗はつかない。真耶が倒れたシルバを
押さえ込もうと飛びかかったときにはもう腰を浮かせていた。逆に、
繰り出したストレイトの拳が、よけた真耶の横腹にめりこんだ。
一瞬座り込んだ真耶は続いて腹を蹴られ、動きの鈍くなった相手を
再び押し倒したシルバは、水中に真耶の全身をおさえつけ、身動き
させないまま時間を稼いだ。二分、三分、真耶の反抗は最初から
なかった。しかし水中から敵をにらみあげ、力がゆるめば反抗してくる
気配はあって、シルバを気味悪がらせた。もちろん二戦目であり、
これだけ動き続けて息のあがった真耶が三分もの水中の長い息だめに
辛くないはずはない。シルバが圧倒的に有利なことは確かだった。
事実、時折り口の端から泡を吐く真耶の不敵な表情が次第にかげりを
見せ、目を剥いて必死の形相になっている。苦しいのだ。もう少しだ。
それ、もっと息を吐きなさい。最後まで吐き尽くして、水を吸い込むのよ!
そうそう,もっと、もっと。ごぼっと最後近い泡を吹いて観念したように
目を閉じた真耶を見て気が緩み、持続的な筋力の維持に疲れの出始めた
彼女の腕の力が一瞬緩んだ。辛い窒息の苦しみを耐え抜いた真耶は
そのシルバの緩んだ腕を払って激しく身を揉み起き上がり、背中へ回って
腕をねじあげた。逃げられない。シルバは悲鳴をあげた。

「負けた。まいったよ。痛い、腕を折らないでくれ、真耶。おまえのいうことは
何でもきくから。」


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