マヤ・パピヨン
(11)懲罰牢

真耶はすぐ呼ばれた二人の看守によって管理棟から連れ出され、
正面の大きな収容所へ押し込まれた。別の看守三名に真耶は引き
継がれ、男囚たちのいる監房へ入って行く。全裸に近い姿のままの
真耶は、動物園のような牢の間をけたたましい囚人たちの奇声、
歓声を聞きながら引かれていくのは気持ちのいいものではなかった。
廊下のもっとも奥の床に大きな鉄蓋が置かれていて、鍵を外し、
それを開くとマンホールのような縦穴が現れた。ポンプ室よりも当然
小さかったが、非常に深そうだった。まっくらい中に看守の一人が
呼びかけると、驚いたことに返答があった。真耶は手のいましめを
解かれ、縦穴を一人降りていくことになった。

「さあ.しゃばの見おさめかもしれねえぜ。今からひと月後に
ここを自力で上がってくる力がなかったら、おまえはこっちへ戻る
資格はないんだ。つまり、誰も助けてはくれないってことだ。」

「今の声は?」

「サボイだ。そら、どこにでもいるだろう。懲罰牢の牢名主さ。
奴は一番長いんだ。だから下を仕切っている。そら、行けばわかるさ。」

男女の雑居牢だとは思いもしなかった。真耶はまるひと月
彼等の慰み者になって生きる悲しい想像にとらわれながら、何とか
長い鉄ばしごを降り切った。上の鉄蓋がそれで閉った。ぼんやりした
明るみの中で、真耶は後ろに人の気配を感じて振り向いた。
サボイだった。肩までの長い白髪を頭の真ん中で左右に分けた
老人だった。老人!?。しかし、すぐ真耶はサボイがさほどの歳では
ないことを知った。ここは、外よりも数十倍の速さで老いるのだ。
目つきは鋭かったが、どうして彼がこの恐るべき懲罰牢の、しかも
その牢名主になっているのか、真耶は分からなかった。しかし真の
老人ではないサボイは、やはり若い女を力で圧倒する男に変わりが
なかった。真耶を見て信じられんといった面持ちだ。

「おまえは、来る所を間違ったんじゃないのか。女が来るとは聞いて
いたが、おまえのようないい女が、しかも裸で降りてくるとは。」

「私は、脱走に失敗したんだわ。それでここでひと月過ごさねば
ならなくなったの。ところで貴方の他にはここには誰もいないの?」

「沢山いる。今朝も囚人たちを扇動したやつらが三人ばかり
降りてきた。やつらは今はおとなしくしているさ。」

真耶は次第に暗さに目が慣れ、ここがあなぐらといっても女囚の
監房ほどの広さであること、床にあちらこちら穴があいていて、上に
格子蓋が置かれていることなどが分かってきた。では、私はあの穴の
一つに落とされるのだ。そうされない何かうまい方法はあるのだろうか。
そしてこの男はどうしてそれを免れているのだろう。それを聞くと、
サボイ老は蓋の開いている一つの穴を指差して言った。

「わしは五年の懲罰刑をうけて、まる三年間そのあなぐらにいた。
五年間の懲罰牢は死刑と変わらない。三ケ月で気が狂う男もいれば、
半年で持病を悪化させて死ぬものもいる。三年も元気でいたものだから、
やつらはわしをあっぱれと思ったんだろう。前にここにいた男が許された
のを機会に、わしはこの地位を踏襲したんだ。わしがここにいなければ、
看守どもがいちいちここまで降りてきてやつらに食事を与えにゃならんからな。
なに、おまえの一ケ月なぞあっというまだ。」

そして真耶を穴の一つに落とそうとする。真耶は泣いて懇願した。

「お願い、昨夜からひどい使役と脱走、それに海で鮫に襲われ、
あやうく逃れたと思ったら、看守どもに追われて、何人もに輪姦されたのよ。
ともかくくたくたに疲れて、休む間もなかった。ここでしばらくでも眠らせて
ほしいの。穴の中は横にもなれないようで、慣れるまで眠ることも
できないようだし。」

真耶の懇願を無言のまま聞いていたサボイはいいだろう、といった。
おまえはその代償を払うことでしばらく刑の執行を猶予してやる。金は
持たないようだし、わしが眠っているおまえになにをしても逆らう権利は
ないものと思え。そして、ひと寝入りしたら、すぐ穴へ入るんだ。わしが
気のいい好色老人だなどと勘違いするなよ。しょっちゅう監査があるんだ。
お偉いがたにわしがいい加減なことをしていると知れたら、またあなぐらに
逆戻りさせられんでもないからな。

  真耶は部屋の隅に丸く寝転がって眠った。疲れ切って
いた真耶はすぐ正体もなく寝入ってしまったが、サボイがその間に
自分を後ろから抱いて入ってきたことを確信した。多分眠りの浅くなって
いたころだろう。彼女にたいした感慨はなかった。それどころか、
穴に落とし込まれることをまぬがれることが出来るなら、サボイに
毎日身を任せても良いとまで思った。それは所長の誘惑に激しい
嫌悪を感じた気持ちと、矛盾するのかもしれない。しかしそれは結局
サボイが拒んだ形になった。余程長い時間を真耶は眠り、起きると
そこにこの懲罰牢で最初の食餌がアルミの容器に入って置いてあり、
それを食べるといよいよ真耶はたこつぼのような縦穴に落とし込まれた
のだった。穴の途中に足のかかりがあってそれを利用して底に達する。
二メートル以上もある穴の深みに降りると、どこから光が入って来るのか、
上の部屋よりも明るいほどだったが、周囲の壁は真耶を重苦しく
圧迫した。

「足をくじくなよ、そこで立てなくなったら終わりだからな。」

その意味を真耶はすぐ溺死の恐怖とともに思い知ることになる。
ともかく入った途端に真耶は虫責めとでもいうような恐怖を味わった。
はだしの足が無数のいやらしい節足類を踏み潰した。その中には
巨大なむかでなども含まれていた。もちろん真耶が身体を触れない
わけにはいかない周囲の壁にもびっしりと虫やひるのたぐいが
貼り着いていて、裸の真耶をおぞけだたせた。あのB監房の
むかで騒動などこれに比べれば何事でもなかった。真耶が余り
悲鳴をあげるのでサボイは上から小便を降らせてからかった。
むかでに噛まれたあとがそれで快癒するというのだ。彼の言うには、
長い間人間がいなかったので、のさばっているのであり、人が入れば
いずれいなくなる。それは間違ってはいなかった。しかし、まったく
いなくなることはなく、数は減ったが、真耶の身体にはむかでが
這わない日はなかったし、ひるが血を吸わない日もなかった。
足もとの排泄物を流し出す隙間からは虫だけでなく時にはさそりや
ねずみなども入ってきた。どんなことになっても彼等には極力無関心で
いなければならなかったが、余りに狭い部屋での同居であり、とりわけ
さそりの恐怖に真耶が慣れることはとうとうなかったけれど、巨大な
むかでが腹を這ってもあわてなくなった(どうせ噛まれても一、二日疼く
だけだ。さそりは命にかかわることがあるが)。穴の底に水がまったく
無い夜は、底に腰を落として顔を膝に埋め眠る安らかな時間だったが、
そんな間にも、虫たちは決して活動を止めなかったのだ。

  しかし虫たちはまだ不快なだけだった。水こそ真耶を
苦しめた主犯だった。足もとの排泄溝は虫やねずみどもの他に、
そこから射し込む淡い光が真耶の狭い部屋を明かるませたけれど、
恐るべき水も入ってきた。海水に押し戻された排水だったが、必ず
日に二回は、少ない日でも膝まで水が来た。大潮の時には胸を越え、
海の荒れることが重なると更にかさが増した。確かにここで立てなければ
溺れ死ぬだろう。逃げ場所のない真耶には水責めの恐怖以外のものでは
なかった。そんな時にはまた穴中のいやらしい虫どもが身辺を泳ぎ、
真耶の濡れていない乳房や首筋などに這い上がって彼女を狂おしいまでに
身震いさせた。真耶はやがてそんなときにはあらかじめ穴の天井まで
上がって格子に取りついて息抜きをすることを覚えた。サボイが機嫌の
いいときは蓋が開き、上に寝ることもあった。もっともそのときには、
サボイは当然のように真耶の躯を味わうことになったのだが。

 

  一ケ月後に真耶が明るい場所に姿を見せた時、
看守たちも、そして懲罰牢の恐さを知っている男囚たちも、
真耶が、脱走前の真新しい制服を失い、B監房での最初の頃の
ようなみじめな腰の当て布だけの姿で、全身に点々と見られる
痛々しい毒虫に噛まれた傷の脹れや膿んだ跡の多さにもかかわらず、
狂うこともなく、さほどやつれもしていないことに驚いた。以前と変わらず
言葉も少なかったが、B監房に戻ったことで安堵している様子は見て
取れた。しかし真耶の試練は元の監房に戻ってからも続いていた。
彼女に対する懲罰はなお、手錠を常時掛けられる形で半年続くことに
なっていた。後ろ手にされていたが、これはまともな日常生活が
出来ない不便と苦痛を強いることだった。まず、これでは食事が
出来ない筈だった。真耶は柔軟な躯を利かして、食餌時には腕を
前に回した。もっとも、普段よりも少ない食餌は、真耶の時には
殆どなかった。

  B監房は真耶の脱走未遂の罪に連帯責任を負わされ、
食事の量が減り、使役はなお続いていた。それは真耶が戻ってから、
なおひと月の間続くことになっていた。監房の雰囲気はがらりと変わり、
使役のために体調を崩したカルメンは権力の座を降りていた。
変わって名主になったのは「淫売の巣」からひと月ばかり前に
移ってきたあのシルバだった。

 

  彼女が向こうをお払い箱になった理由は、その
盗癖だとある看守が真耶に囁いたことがある。ある客と同衾した時、
その男のポケットにあった金を抜き取ったことがばれたのだという。
もちろん真耶は彼女についての噂を仲間に話すことはなかった。
確かに、三十を越えていることを除けば、彼女はまだ魅力的だったし、
大柄で女たちも引きつけたので、リーダーになる条件はあった。既に
カルメンの以前の取り巻きを全部掌握して、その威信は揺るぎないよう
だった。そのシルバが、戻って来た真耶を「B監房を自分のわがままから
不幸に陥れた悪党」として排除したのだ。カルメンは何も発言しなかった。
一応シルバの近くに座ることを許されていたが、足を脹らせ、立つのも
苦しげで、誰も彼女の発言を期待しなかった。

  真耶は初めてここへ来た時のように一番奥の片隅に
座を取らねばならなかった。使役の頻度は皆の倍にされた。つまり、
他の女囚たちが四日に一度の夜を使役に出るのに対して、真耶は
一日置きにその過酷な労働に当らねばならなかった。以前も一緒
だったが、監房に割り当てられる使役のメンバーの割り振りはそこの
名主の専任になっていた。カルメンのときは病気がちのものも、
カルメン自身も含めて皆に平等に当てた。体力のないものには
カルメンや真耶などと組むようになってもいた。シルバは違っていた。
一番弱っている一人が外され、カルメンと一緒にシルバと二、三の
側近もこれに入らなかった。その他の女たちが五人ずつ交替で夜に
なるとポンプ塔へ引かれていった。真耶は二人分をこなすことを
強いられたことで皆の負担が多少減ったことになる。真耶は何の
不満も漏らさなかった。それを潔いと言う者があったが、シルバは、
「当り前じゃないか、あいつのおかげでこのような苦労を強いられているんだ」
と叱り、言った者を食餌の最後に下げた。もっとも、真耶が居るときは
彼女が最後と決まっていたのだ。

 

  過酷な使役と陰湿な監房での嫌がらせで寝不足が続き、
いつも真耶は腹をすかせて辛い日が続いた。当然のことだ、とシルバは
言った。懲罰牢から生きて戻って来られただけでも運が良かったんだ。
いずれ衰弱して病気になるのが奴の運命さ。

  真耶の苦境を救ったのはむしろ看守たちだった。
地下室で辛そうにポンプのろくろを回す真耶を見かねて外し、
休息や食餌を与える者がいた。もちろんその代償として真耶は
身体を要求されるのだったが、おおむね差し引きで楽をさせてくれた。

  脱走の失敗を経て、真耶は少し変わった。
看守たちに躯を与えることにも抵抗を感じなくなった。もっとも、
今真耶が以前のようにそれを拒めば、周囲に彼女の味方は
いなくなり、衰弱から死に至ることは確実だったろう。全身の傷にも
薬を塗ってくれるものがいて真耶の衰えた体力は次第に快方に
向かっていった。
 シルバは面白くなかった。真耶が使役に出た夜、シルバたちは
真耶の処遇について相談した。シルバが提案した、彼女に毎晩使役を
当てるという案に意外にも多くが異論を述べた。真耶は弱らないだろう。
というのは、使役の時間こそ彼女の不思議な回復の原因だからだ。
それに、自分たちも真耶と組む機会が増えるのは嫌だ。彼女が
首の鍵を外されて看守たちとよろしくすることが頻繁なために、自分たちの
負担はむしろ増えるのだ。シルバは憤った。真耶のやつ、恥知らずな姿を
晒すことで看守どもを引き寄せ、やりたい放題をしている。以前がそうだった
ように、あれは露出狂を装って、それは奴らのお気に入りの格好なんだろうが、
傷だらけ、膿だらけの醜い裸をよくも見せびらかして、恥じらいもなく
抱かせるものだ。皆は笑ったが、シルバの怒りが嫉妬を下地に
していることは分かっていた。

 

  結局シルバは真耶に毎晩使役を当てることでその場を
押し切ってしまった。いまでも真耶は使役から戻ったあとの日中を眠らずに
過ごす。他の女たちは疲れ切って眠り、食餌時には起こされてむさぼり、
また眠る。真耶は眠ればまず食餌にはありつけない。一番奥で眠る
ことでもあるし、起こしてくれる同僚がいないのだ。それに頻繁にある
嫌がらせを避けることもある。一日置きのその夜を真耶は唯一の
睡眠時間にしているのだが、それでも懲罰牢での日々に比べれば、
横になれるだけ安らかな睡眠が取れると真耶は思っている。シルバは
考えた。その夜を使役に当てれば、真耶は全く眠る時間が取れずに、
今度こそ衰弱するに違いない。いずれは殺してやるにせよ、出来るだけ
日常で苦しめてやるのだ。あの憎らしいほどに男好きのする美しい顔を、
見る影もなくやつれさせてから殺しても遅くはない。何にせよ、むかでを
何匹腹に這わせても驚かない女だ。大抵のことでは参らないだろうから。
二ケ月続いた使役はあと十日もせず終わる。その間に精々衰弱させて
からいじめ殺すのだ。

  使役から女たちが戻ってきた。手を後ろに回した真耶が
最後に入ってくる。皆の視線が集まる。心なしか五人の中では最も
消耗が少ないように思える。静かに皆の間を伏し目に歩いて奥へ
行こうとするところをシルバが呼び止めた。

「マヤ、まだ元気が残っているようじゃないか。ほかの女たちが
青い顔で戻って来たというのによ。」

真耶は無表情でシルバのひと群れを一瞥し、そのまま行こうとする。
シルバがもう一度呼び止めた。真耶は黙って立ち止まった。シルバに向き直る。

「おまえにはこの仕事は軽すぎるようだ、なぜだか分からないが。
ともかく、今夜からは毎晩出てもらうからね。あと十日だし、これでも
おまえのためにみんなが被った迷惑の償いには足りないくらいだよ。
いいな。」

文頭へ戻る

(12)決闘へ進む 

「マヤ・パピヨン」目次へ戻る

メニュウページへ戻る