麻薬王の贄(6)酒宴         

 麻薬王エスカリーヨの催したごく内輪のパーティは宴たけなわで、ここでは珍しく十人近い若い美女が艶美な水着姿で参会者たちのそばに侍って座を盛り上げている。彼女達はコロンビアでも有名なサッカースタジアム専属のチア・ガールチームだ。目の玉の飛び出るようなギャラで契約しここへ、半ば強引に連れ込まれた。ともかく、このパーティは彼のコネクションでも大幹部たち五人が王と交歓する稀な機会だった。皆実績のある、一家然とした麻薬デイラーだったけれど、中では一番力のあったはずのガルベスだけが一人、いつになく沈んで言葉寡なで、著名なシェフが腕を揮い、中央の大きな卓に狭しと盛られた山海の珍味も、ワゴンの中の高価な葡萄酒も、豪華な彩りのケーキ類も彼の食指を動かすことなく、寄ってくる女たちにもいつもの愛嬌をふりまくこともなかった。彼の失脚は公然の噂で、このパーティもエスカリーヨの彼に対する面当てのような空気があった。孤立したガルベスは、この場で殺されるかも、という最悪の事態さえ覚悟してこれに臨んだのだった。もちろんこの五日間を城の一室で体のいい軟禁状態にあった彼には、ここへ身を曝す以外、他に選択肢はなかったのだ。
「おい、座興だ。面白い見物がある。女ども、座を引け、出て行くんだ。それとも見物するか?おい、ガルベス、おまえは準主役だ、でていくんじゃあねえ!」
ゆっくりと立ち上がろうとしたガルベスをたしなめるようにキングが怒鳴った。女の中にも駄々をこねるようにしてその場に居残るものがいて、賑やかな広間の正面の扉が開き、二人のいかつい兵士に左右から二の腕を掴まれ、後ろ手に括られた全裸のマヤが姿を見せた時には、なお女たちの半数以上が残っていて、宴の場には余りにもふさわない、酸鼻なまでに痛々しげな姿のいけにえの、刺激的な登場に肝をつぶし、一様に甲高い悲鳴をあげた。貧血を起こして倒れるものもいる。しかしなお乾ききっていない、どす黒い汚泥を全身にまつわりつかせた泥人形のようなマヤの至るところ赤く口開き、膿み爛れたひどい傷跡もさりながら、そのほっそりした腰に一条、無造作に巻きつかせた有刺鉄線の針の食い込んだ新しい傷をはじめとしてその素裸の躯は文字とおりずたずたに切れ、傷ついて血にまみれ、絞り込まれた後ろ手の、両の手首に、そして足首にまでそれぞれ腰のそれと同様のバーブワイヤーで巻きくくられたあくどいほどの無残さのまま、そこかしこの深い傷から血を噴かせ、足元の赤い絨毯へ滴り落ちるままにさせつつも、赤い目を剥いたはだしのマヤは倒れることもなく兵士たちに支えられながら、不自由な限られた歩幅でエスカリーヨたちの待つ宴卓のそばへ、押し出されるようにしてにじり出た。麻薬王が椅子に座り、好色と好奇心もあらわに、酔眼を大きく見開いて、腕を伸ばせば届くほどの距離に近寄せられたそのむごたらしいばかりのいけにえの姿を、足先から頭まで舐めるように眺めまわす。それで、キングはこの瀕死の女豹が全身の傷の痛みと疲労に耐えて、絶え入らんばかりの短い喘ぎ、うめきを繰り返しつつも、その汚れた青白い顔だけはさほど傷ついていなくて、ぎらぎらと血走った強い視線が憎しみをたたえて自分の顔をなおにらみ据えているのに気がついた。
「おい、たいしたものだ。この女、まだ生きているだけじゃあねえ。立って、儂を睨む気力も余しているんだ。三時間前のこいつの状況から、儂はここで死体を見ることになるかと思うたが。」
エスカリーヨは発見されたマヤを朝、密林の近くの現場までわざわざ確かめに出向いたのだった。有刺鉄線を手足に絡め食い込ませたまま、マヤは死んだ猟犬と一体になってなお苦しみ続けていたから、キングが身辺に来たことにも気づくことは無かったはずだ。
「多少の鼻薬を、コカの粉を嗅がしています。ただそれだけで、あのあと、ご指示の通り、鉄条網から引き剥がしたままで手当ても何も全然---。臭いが凄かったので、コローンを振ってやりましたが。」
「そうさな。糞溜めの縦穴から這い出たらしいが、臭いのは当然だ。見ろ、蛆やら蛭やらがまだあちこちの傷に食いついて、ぞっとするわい。ここに着いてから五日もろくに飲まず食わず、眠りもやらずに兵士どもの拷問やら囚人どもとの乱交やらを楽しんだたあげくに、こいつは、誰もやれなかった地下牢の下水管からの脱出を試み、おまけに番犬どもを二匹素手で殺し、城の周りのワイヤーの海へ飛び込んで、泳いで逃げようとしたんだ。この、まっぱだかの躯でな。ガルベス、そんなばけものみたな奴だ、おまえの女は。よく分かっただろう。こいつにかかっては、男の二人や三人、殺すなんぞ、屁でもないだろうよ。」
「お願いだ、キング。勇敢なマヤに、手当てを施してやってくれ。このままでは、死ぬ。」
ガルベスが低い、しかし沈痛なしゃがれ声で正面の麻薬王に懇願した。この場の座主で、全能者のエスカリーヨは嘲笑った。
「死ぬか?この女が。こいつは今、死ねず、むしろ死にたがっているんだ。傷の痛みも、辛さもあるだろうが、見ろ、どんな莫連でもここまで汚され、卑しめられて、生きて居たいと思うか。なあ、女、正直に言ってみろ。そうなんだろう?いっそ死なせて欲しいのだろう?」
確かに、恐いもの見たさに去る気にもなれず、周囲を取り巻いた若い女たちの怯えるような、好奇心に満ちた視線も含めて、軽蔑すべき敵の悪人どものあざけりの中でひとり、全裸のまま、ぶざまに汚れ尽くし、傷ついて苦しむ自分の姿をこれ以上晒し続けることにマヤの矜持は堪えられなかった。エスカリーヨの言うとおり、早く殺して欲しいとすら思った。しかし、最悪の状況ではあったけれど、彼女の究極の目標はすぐそばにあった。とても会うことはかなえられないだろうと思っていた仇敵、麻薬王エスカリーヨはマヤの目前にいた。片足が不自由な彼の身辺から離さない杖で、彼女の右胸の、膿み崩れかけた乳房を強く突かれ、激痛に身を震わせた時もマヤはその意識を失わなかった。もちろん、手首足首に有刺鉄線を巻きつけられ、むごたらしく動きを封じられた彼女に出来ることは何も無かった。私は、このままやつらに笑われながらここで狂い死ぬことになるのか。いや----。まだ分からない。そうは、させない---
「わたしが、これほどの罰を受けねばならない、何ほどのことをしたというの?貴方に。
「わたしは、貴方に抱かれたいために、ここまで来たのよ。死にたくないわ、エスカリーヨ。貴方に抱かれるまでは----。」
苦しい息の中で、マヤはこれだけ言った。麻薬王は大きな口を開いて笑った。
「おい、ガルベス、おまえの女だ、最後に抱かせてやろうと思っていたが、こんなことを、おまえの前でしゃあしゃあとぬかす。キングである俺様へのお追従か、命乞いの積もりか。まあ、死ぬまえに言うことだ、真実だろう。だが、こいつはおまえを今、裏切ったんだ。憎らしい女じゃあないか。さあ、どうする?おまえ自身の手で死なせてやるか。もっとも、殺さずに苦しめて、更に辛い思いをさせることも悪くはねえが。そんな女だろうが、おまえには。許すぞ、ここで、やってみろ。いたぶり殺せ、おまえの手で。ふん、未練があるのか、この女に。なに、これだけの傷で、いずれは死ぬ女だ。それが出来なければ、ひとおもいに死なせるのもこいつへの慈悲だ。さあ、どうやって殺す?銃か?ナイフか。」
ガルベスは、しかし、キングの挑発にも乗らなかった。動かなかった。マヤの本心がわからなかったし、多分もう狂っているのだろうとも思った。狂うのも当然の状況で、狂った女を自分の手で死なせる気にはなれなかった。
「キング、貴方の女です。もう、私のものではない。ご存分に…。」
「これが、俺の女だと?この汚れた、傷だらけ、糞だらけの素裸の女が?馬鹿な!なあ、ダリア、そうだろう?キングたる俺に、こんな汚い女がふさわしいわけもねえ---。」
ダリアと呼ばれた美しいメスチーソはキングに気に入られた一人だった。王に近い位置でマヤを眺めていたが、大きくため息をついて言った。
「でも、この女、良く見たら綺麗だわ。それにこの突っ張った表情、私達に張り合って、全然負けてはいないんだ。死ぬのが恐くないんだわ、この女。ものすごい棘だらけの腰帯もこの細い躯には似合いの飾りで、悪くない。でも可哀そうに、ひどい体----。キング、せめて、体の汚れを取ってやって。死ぬ前に---。」
キングはまた陽気に笑った。
「よう気がついた、ダリア。おい、給仕共、この女の汚い体をちょっと拭ってやれ。そうだ、カネラッソを、たっぷり頭からぶっかけてな。」
マヤの、ヌバ族の踊り子のような黒ぐろとした躯、泥まみれの髪に、さほど安くもない地場の強い蒸留酒が瓶ごと、何本も惜しみなく浴びせ掛けられ、その肌にこびりついていた汚れも、蛆虫どもも面白いほどによく落ちたけれど、その全身の深い傷に酒精分が鋭く沁みて、マヤには地下室でのひどい拷問もこうはなかったろうと思えるほどの苦痛のきわみを、表情だけでなく、うめきと歯ぎしり、全身の痙攣、身悶えで示し、眺める女たちも思わず目をそむけるほどだった。しかしその凄まじい激痛の嵐をやりすごし、辛うじて正気のまま堪えぬいたマヤは、恐らくその無数の傷口から体に染み込んだ酒精の効果か、青白かったはずの顔を幾分か火照らして、その濡れそぼった艶めかしい躯でそばの逞しい兵士の胸に寄りかかり、後ろ手に括られたまま辛そうな息を継ぎつつも、キングへの最後の秋波を、赤く光る流し目を忘れなかった。もっとも、もう声は枯れて出なかったし、目もよくは見えないのだった。そんなマヤにわずかな憐憫をもよおしたのか、エスカリーヨはようやく女の最後の願いを聞き届けてやろうかといった気分になった。いや、痩せた肩を覆う長い黒髪が艶を取り戻し、傷だらけ痣だらけの身ではあれ、本来の桃色の肌身をあらわにしたマヤのセクシーな裸体に、好色なキングがふと魅せられたということだったろうか。
「よし、よし、よう我慢した。きれいな体になったおまえの最後の願いだったな。抱いてやろう。俺の腕の中で死にたいというたか。よし、抱いて、抱きしめてやろう。」
ゆるりと立ちあがった麻薬王は、さすがに大柄だったが、兵士二人の手を離れてひとり立ち、後ろ手に括られたままのマヤもまた、嫋やかな細身をすくと伸ばし、ややそらせた姿は、その王と呼ばれた男に抱きすくめられるにふさわしい美しさ、みごとな女体だった。男の上質のカッタァシャツ姿は、厚い胸まで肌を剥き出したラフな着衣で、良い酒の匂いがむせるほど強くたつ女の細い躯を引き寄せ、まず腰の棘だらけの飾り帯をゆさゆさ揺すりながら引きむしった。ひどい傷が新たな血を噴いた。マヤには辛いことだったけれど、帯のまま抱かれるよりはいいかもしれないと思い、悲鳴も漏らさなかった。血まみれの体を、汚れもいとわずエスカリーヨはぐい、と引き寄せ、抱える。細腰を抱えられたまま、マヤは痛みもあって、男の体から出来るだけ離れようとのけぞった。
「おお、ひどいからだだ。どうしてこうまでして、生きていたいのか、おお、痛いか、辛いか。」
男は、そう言いつつも、マヤをひきつけたまま様々なやりかたで彼女の乳房や太腿の無残な傷口に触り、なぶりまわし、更には股間に手指を差し込んであざとく反応を楽しむ。その激痛の繰り返しに殆ど意識を遠のかせつつあるマヤは、最後の気力を振り絞って血走った目を開け、恨めしげに男を睨みあげた。
「そうだ、そんな顔が俺にはそそられるんだ。それ、来い。すぐ楽になれるぞ、なんと、---この吸い付き---、おまえのような女は、始めてだな!」
陰裂から手指を抜き、男はマヤを更に強く抱き込む。そのままかぶさるようにして唇を奪おうとする。彼女はその男の硬い胸に強く押し付けられ、押しつぶされた乳房の痛みに堪えられず、結果として男の接吻を嫌うように大きく身をのけぞらせ、首を横に捻った。後ろの手の棘鉄線で縛められてある両手首を激しくよじらせた。男は接吻を恥らう女の反応をいじらしいと思った。それで、髪の間からあらわになった、半ば破れ、ささくれた女の耳たぶを噛み、口に含んだ。マヤの横ざまになった唇と舌はその時、長い髪の中に仕込んであった、毛髪より細いステンレスの鋼線を探り当てていた。それを強く奥歯で噛み、同時に、あがいて自由を得た血だらけの右手指で頭頂に植えられてあったその鋼線の一方の端を掴み抜き、なお無防備な男のうなじから首へさりげなく、しかし素早く巻き、左右へ強く引き結んだ。麻薬王は、首筋へ鋼線が深く食い込む時の苦悶で非情なパートナーの耳半分を思わず食いちぎったが、声をあげるひまもなく、すぐ凄まじい量の鮮血をあたりに撒き散らしてその場に昏倒した。もちろん、マヤもその血煙の中で無事であろうはずもなく、その黒髪も、顔も、全身が返り血で染まったけれど、なおひとりその場に陶然と立ち尽くし、瀕死の女戦士であるこの自分が絶対の危機で、とうとう鮮やかな逆転劇の主役を演じきったのだという限りない満足感のために、その身がまたしとど汚されたことにも、周囲の驚愕の視線にも全く無関心なままだった。
    麻薬王の贄  完 

この物語は完全なフィクションです。

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