まんだら(上)

 

 

 より子は目覚まし時計のけたたましいベル音で目を覚ました。胸の強い

動悸がしばらく収まらない。めくれ外れて尻の下回っていた、

体の半分を辛うじて隠す程の幼児用のタオルケットを手探りで腹の上に引き寄せ、

安物のよくきしむ低いベッドに半身を起こしてしばらくぼんやりとした。

いつもながらの不快な目覚めだった。ふと考えてみる。この動悸はベル音に驚いたからか、

それとも何か嫌な夢を見ていたからだろうか

首すじから肩、胸、乳房へと両手でなで、全体にじっとりと汗が

にじんでいるのを確かめる夢を見たのは間違いない。悪夢?当然だろう。

私のこの、素裸の寝姿を、つい際前まで幾人の寂しい男どもが見詰め、どんな

けしからぬ情念を浮かべていたことだろうか。

夜中を通して電灯をつけっぱなしにしているより子の部屋は

三台の監視カメラが常時窺っている、いわゆる「覗き部屋」だった。しかし、そのカメラがどこにあるのか、

自分のどんなアングルを撮っているのか、彼女は知らない。

カメラ目線を無くすことで自然な臨場感を出すということらしい。ありかが分かっていれば、

いずれ撮られる方でそれを意識して不自然になるのを避けられないのだという。

寝覚めが悪いのは明るい電灯のせいもあるかもしれない。

もっとも、より子はヌードモデルの経験もある。個人集ではなかったけれど大胆なヌード写真も雑誌に出た。

裸を見られるのは慣れていたし、そういった想像で不快感を催すことはなかった。

だからこそたいした実入りにもならないこういったビジネスを請けたということだけれど、本来彼女は

どんなことでも余り深刻に考えない性格だった。すぐ気分転換が出来る体質だった。

より子は息をなだめたあと、ベッド正面の掛け時計と、自分を起こした当の目覚まし時計を交互に眺め、

九時半であることを確かめる。確かに、悪夢は去っていた。午前五時が契約の刻限だった。

悪魔たちが山へ帰る時刻だ。

 この三畳トイレシンク付きの1Kは、交通には至便の場所にある都内のマンションの五階にあって

築二十年以上と新しくはなく、エレベータもないしセキュリティも万全とはいえないけれど

家賃も敷金も安くはない外光はあってもいつも暗い。僅かな自然

採光の源である唯一の北側の窓は、しかも厚いカーテンが引かれている。外にくっつくようにしてせり

建った隣の同様なアパートの、汚れたモルタル壁に穿たれた窓が向かい合っているためだ。

その未知の隣人の窓も、やはりカーテンが開くのを見たことがないのだけれど、

こちらの有料覗き部屋を無料でのぞかれては困る、ということだ。 


 
より子の狭い部屋をより狭くしている隅のパソコンから、その映像は電話線を通じてどこか、

都内にある巨大なサーバーを介してインターネットの有料サイトにつながっている。もちろんより子自身が

思いついたことではない。知人から勧められ、ふところ事情もあり、つい承知してしまった。

 

 より子は、だから、おむね午前零時から、朝五時まではこの部屋にいなければならない。それも全裸で、

という契約でこの設置を承知した。下着を着けていれば少しギャラは落ちる。

オナニーをするという更にギャラの多い契約もあるけれど、彼女にその習慣はないし、そこまで汚れることはないと請けなかった。

幼児用のタオルケットはぎりぎりのところだ。不在が多かったり、外出着のままで寝たりなどすると

契約違反ということで「出演料」は振り込まれないという。

もともと、より子は結婚していた時も室内着はラフなタンクトップだけ、とかいう生活だったし、

寝る時は下着も着けなかった。だから、以前の習慣そのものなのだ。もっとも、解像度の悪い監視カメラは、

乳房はともかく、彼女の貧しい恥毛すらよほど良い条件下でなければ

はっきりとは捉えないらしい。まして性器など、よほど凄い開脚ポーズでもとらない限り

ネットの向こうでは確認出来るはずもないわけだ。だから、たまたま違法性を免れているんで、と

これを設置した、終始彼女の前では緊張が解けなかったかわいい感じの若者から彼女も聞いていた。

もちろん、それを聞いたところでより子の、いつも誰かに見られているという落ち着かない意識が収まるわけもなかったけれど。

 

 何にしろ、より子の部屋は当時から若い女の部屋らしいものは何もなかったし、彼等が見かねて

大きなプーさんのぬいぐるみなど、最小限整えてくれたおかげで、少しはまともになったような気がする。

より子の期待を越えた肢体の魅力と美貌のおかげで、アクセスが増えたというのだろうか、より子も

アルバイト程度にと思い、実入りもさほど期待はしていなかったのだけれど、最初は契約した

以上の振込みがあった。もっとも、彼等としても長く続けられる商売ではないらしい。

 TVをつけたより子は、しばらくベッドでぐずぐず過ごし、

十時直前でしぶしぶといった風にベッドを降り、パンティをベッドのから捜し出して身につけ、顔を洗った。

化粧は念入りにするほうではない。

乳房を覆うほどの黒髪も数日間隔の洗髪だ。毎朝ざっと梳くだけで、

臭いはオーデコロンでごまかす、離婚後の幾分投げやりな生活が

身についてしまった。十一時を少し越えて、より子は色の入ったグラスを

掛け、昨日買った鴬色のニットのタイトなワンピースを鏡の前で着て

ニットの薄い地がノーブラの乳首を突出させているのに気付き、ちょっと考えてから、同色のミニジャケットを

探してはおった。

より子は20での結婚当時からブラジャーをつけたことがない。

ちょっと自慢の綺麗な上向きの乳房はDまではないけれど適当な大きさで、

堅くもあり、整える必要がないということがある。もちろん、その胸を締めつける感じが嫌なのだ。

最近勤めた下着ショウでは、ひさしぶりのことであり、装着、取り外しが下手だと同僚に笑われたものだ。

 

 ドアの覗き目から近辺を注意深く、近くに怪しい人影がいないことを確かめてから

ドアノブを回し、外の空気を吸う。どんよりした五月の空の下の、なま温かい風だった。

誰も居る気配はない。大きく息を吐き、階段を下りて地下鉄の駅へ向かう。より子には珍しい、

膝上5センチほどのおとなしいミニだ。結婚していた時はもっと大胆なものを好んで身に着けた。

それがよく似合いもしたのだけれど、前のアパートでストーカーに狙われた経験もあり、

独り身の今は出来るだけ目立たないことを心がけている。もっとも、平凡な身なりをしても背が男並みで

小ぶりの顔、ほっそりとしていながら腰にはアクセントがある見事なプロポーションのより子は、

風に揺れるフェミニンなロングヘアも様になってどうしても目だってしまう。

ローヒールで出かけるのもそんな慎みの現れなのだけれど、営業用に

金ラメの派手なハイヒールも紙袋に入れている。

 

 大方が、もっとセキュリティの良いマンションに入るのが良い、と忠告してくれるけれど、

何よりも、より子は今金がない。出してやろうと近づいてくる男が居ないでもないけれど、

下心があるのは当然で、警戒するようにもなっている。セックスは嫌いではないけれど、

やはり本命であるプロの写真家の緒方に遠慮しているのだ。今でも時折り関係はあるし、メイルにも折々

の挨拶があって、忘れられていないんだ、という感慨がある。だから、彼女自身アダルトっぽい仕事に

さほど抵抗はないのだけれど、余り情け無いものは断るか、それとも内緒にしているか、どちらかだ。

今の隠しカメラサイトも、内緒だったけれど、最近ばれてしまった。

 一週間前のことだった。携帯にかかってきたのだ。もちろん一握りの関係者にしか知らせていない番号だった。

いつもは切ってあるのだけれど、帰った直後で、忘れていた。

「おい、やっぱり、よっちゃんじゃあねえか。今見てるよ。」

もちろん、自宅ではないだろう。おおっぴらに妻のまえで見れるような

サイトではない。

「ばれちゃった。でも仕方ないひとね。こんなサイト、よく見るの?」

「偶然入ったんだ。相変わらず、格好いい尻だなあ。催すよ。」

音声は取られないけれど、口や表情の動きで内容はある程度知られる事はあるだろう。

緒方に聞けばモニターの位置がこれで分かるかもしれない、とより子は思ったが、余計なこと、と思い直した。

多分、後ろ姿を見られているのだろう。帰ったばかりで、すぐパンテーだけになっている。

これがより子のとりあえずの覗かれ用の室内着だ。寝る時に裸になればよい。

「これから、男を引き込むんだろう。」

「ずっと、これから毎晩見てていいわよ。清純なものよ。」

「嘘をいえ、オナニーは日常なんだろう。」

「何をいってるのよォ。」

誰かに聞いて探りあてたのかもしれない、とより子は思った。オナニーを

してから寝につくことが同種のサイトの定番なのだ自分はしない、というのもいいわけになりそうでより子は弁解しなかった。

「何時からやる?それとも今すぐかい?見たいな。やってくれよ。」

「代わりに、何してくれる?明日、会ってくれる?」

緒方のためなら、今夜はやってもいいか、といった気分になっている。

「交換条件かあ、弱いな,それは。」

結局、一週間後に仕事を回すという約束で、より子は引き受けた。

緒方の声と面影をなまなましく想いながら、その夜の手淫はひさしぶりに濡れるまで激しく燃えたものだった。

「おい、こんなエロな仕事してたら、また変な男に目をつけられて困ることになるよ。」

次の日に聞いた緒方の感想メールが、携帯からそう言っていた。しかし、よく自分を知った人間ならともかく、

荒い、暗い画面から自分を特定し、街なかでそれと気付く男はいないだろう、と思う。

外出時にグラスを掛けるのも万一の用心というより、そんな内心の怯えをごまかすためである。

 

 ずっとストーカーに悩まされていたより子だった。離婚以来三度居場所を変えた。

離婚の原因だって、元はといえば、ストーカーだった。いや、誕生日祝いに撮ったヌードに

きっかけがあったのだが。
やっぱり五月だった。あれから丸二年になる。

 

 二十三の誕生日を控えた五月の朝、明るいアパートの

一室で、その二百枚を越える彼女のヌード写真は素人写真家の夫、

啓一の手で撮られた。スライド用のものが殆どだったので、新宿のカメラ店から現像に出した。

予想もしなかったことだが、その一部が裏に流れ、ピンク雑誌のグラビアに載せられたのだった。

素人女性特集と銘打ってあったが、その中でより子はトップの扱いだった。啓一は店に抗議したが、

らちがあかなかった。彼等は多分、無頼の組織が絡んでおり、性質上

泣き寝入りすると思っていたようだった。啓一はすじを通して告訴まで行き、新聞にもその話は載った。

結局、店側が不手際を謝り、告訴は取り下げていくばくかの慰謝料も得た。しかし、

それで事件が終わったのではなかった。平凡なパート主婦だったより子を見る周囲の目が一変し、

知らぬ男につけまわされた。電話も頻々とかかった。ずっといたアパートには住めなくなり、しかも

働いていたプディック店の品位を傷付けたとして、より子は職を失った。

 そんなより子に近付いたのが、今も続いているプロ写真家の緒方である。

数度のヌードモデルを勤めて、身体を奪われた。啓一にばれ、結局、離婚する破目になった。

事件から一年後だった。緒方には女優の妻がおり、それを知らなかったより子は甘かったのかもしれない。

しかし、彼女の目から見て、夫よりもその男が比べものにならない魅力を発散していたことは確かである。

啓一とは、最初のトラブル以来しっくりいかず、不特定の男に追い回されるより子を庇うというより、

写真の一件以後はむしろ面倒を避けていたし、啓一から出た話ではあっても、彼女にも弱みはあって、

手切れ金など言い出し様もない雰囲気ではあった。より子はいわば身ひとつで追い出されたわけだった。

 

 生活の手段を失ったより子は、それでも軽く考えていた。

緒方に頼っていけば、といった彼女の気分はいつも裏切られた。水商売のくちならいくつも誘いがあったけれど、

より子にはやる気がなかった。

モデル業が当面の彼女の目算だったが、その方面に顔のきく緒方は、むしろ彼女が自立する道を妨げた。

おまえなんかプロなど、とてもじゃないが合わない。やってはいけない、

めちゃくちゃにされちまうよ、やめておけ、というのが口癖だった。別により子には野心があるわけでなく、

大学中退でデザイナーの道も、裁縫師の仕事も中途で頓挫し、遅れてであっても、少しは自信がなくもない

この道で当面の生活がなりたてば、というささやかなものだったのだが、緒方はそんな「芸能界」を、

確率の滅法悪いゼロサムゲームだと言う。彼女を自分の見いだした女だということで、

彼専属のような、私物扱いの様子があった。そのくせ生活費を呉れるでもなく、仕事があったときだけの

小遣い程度のもので、中途半端な立場に彼女を留めることが目的のような言動が目だった。

 写真集を出してやるよ、と言ったことがあって、より子も

嬉しかったけれど、いつそれが実現するのかは不透明だった。しばらく緒方が海外へ旅行に出た時と重なって、

より子は失業保険が切れたこともあり、彼から足を洗う気分で自分からモデル斡旋業に売り込み、

今の自立した生活に踏み出したのだった。新聞の求人欄で見つけたその会社は

「ポイズン」といった。名前の割りには、マネジャーは気の抜けたビールのような、気のよい人間のようだった。

 

 より子の仕事は大抵が午後、あるいは夕刻からはじまることが殆どだ。携帯電話で事務所からの指示を確認し、

そこへ直行する。モデルの仕事といっても、多くの斡旋会社が乱立して競争が激しく、

大抵が事務所のメンバーを一括して世話しているマネジャーの個人的なコネクションで殆ど決まってしまう。

新入りで、歳も高い方のより子には汚れ仕事が来ることも多い。

 

 今日は準大手のスーパーストアの水着ショウだった。

地下鉄の終点に近い場末ともいえる近郊の店で、通りすがりの客を呼び込むために、地上駅から店の玄関まで続く露地が会場だ。

より子が入った時には既に皆が揃って準備を始めていた。一時間、より子は遅い時間を聞いていたようだ。

マネジャーのミスだろうか。今更詮索してもしようがない。主催店の入口のパネルで臨時に囲った狭いボックスが

着替えの部屋で、そこで寄せ集めのモデル四人がそれぞれ五、六着の各社新型水着を着替え脱ぎ替えして

歩き出、戻る。同業のモデルたちは皆、より子とは初対面だったし、遅れたことを謝ったが、

案の定着る水着は既に仕分けがしてあり、より子の分は皆が着るのを渋ったようなものばかりで、

ださいもの、極端に布地が少ない、人前では勇気のいるもの、妙に下着っぽく、扇情的なひらひらしたフレアなどが

余分についたものなどが残っていた。一応メーカーの名前はあるけれど、客寄せのショウが目的なので、

各々の順番などはでたらめだった。正午からたっぷり一時間ほど、日がささず、肌寒いほどだったけれど、

より子は多いとは言えない雑多な観客の前でなんとか笑顔を持続させることが出来た。

特別観覧者というストア側の招待者たちが選んだ水着に、より子の一番露出の多い片ノットのTバック水着も入っていて、結局

それを身につけたなりに最後の写真撮影までいってしまった。トップのブラも、狭い半月形で、

ただ乳首の下あたりを掬って首に回すだけの頼りないものだったし、後ろから見たら腰から尻のくぼみへ食い込む細い紐が

目に付くくらいで、全裸と何ほども変わらないしろものだった。もちろんより子はそれで最もカメラを身辺に集めたモデルになった。

 冷え切った身体をさすりながら、他のモデルがつけていたボディストッキングを

自分も用意するべきだったか、とより子は思った。でも、水着の場合、ストッキングとはなかなか合わず、

着こなしが難かしいのだ。より子は真冬でもなま足にこだわる性格だった。

 このあと、もうひとつ仕事が残っているはずだ。携帯で確認しようとした矢先、

外に面会者が来ているよ、と声を掛けられた。驚いたことに、その、次に行くクライアントだった。

わざわざ迎えに来たのか。ここからは近いはずもないのに、とより子は何か嫌な予感がした。

秋葉原の「R電機」の店長で、大売出しの客寄せに水着姿で店頭に立ってもらうというものだった。

 それはより子も聞いている。自前の水着を既に用意している。しかし、派遣されるモデルの女の子が、

直前に水着ショウに出ていることを聞いて視察にきたらしい。中年禿頭の、なにやら卑しげな店長は、

ちょうどよかった。あの人気一番の水着で立ってもらう、と契約外の条件を言った。あれは借り物で、

もう返しましたので、と閉口しながらもより子は丁寧に断ったが、それはもう解決済みだと得々いう。

ストアの担当者にかけ合って借りてきた、と男は手に持った紙袋を提示した。露骨に嫌がるわけでははないが、

ひるみがちのモデル嬢の心を読んだのか、まっ裸で通りに立てとかいうんじゃあない。嫌なら代わりはいる、

といきまく始末で、より子もとうとう承知する破目になった。

ただひとつの救いは男の寄越した紙袋の中に先刻はなかった腰に巻く同色のパレオが入っていたことだ。

あ、やられた(のかもしれない)とより子は軽い衝撃を受けた。誰か、あのときのモデルの嫌がらせだったのか。

男が気を回したのか、より子は何も言わずそのまま受け取っておいた。

 

 なるほど、全裸のヘア・モデルをこなしたひどい経験もより子にはある。事務所に籍を置いて間もないころで、

やはり肌寒い、十月のかかりだった。江の島の砂浜に集まったモデルは五人ほどだったか、フィルム会社の

代理店が集めた素人写真家は二十人はいただろう。やはり水着撮影とより子は聞いていた。

何着かの替え水着を持っていったのだけれど、着替えする場所がなく、モデルたちの動向を見定めて、

より子もやはり彼等が喜びそうなビキニにした。他にも美人モデルはいたのだけれど、

何よりも初々しい未経験のモデルであり、いろんな注文を嫌がらずこなしたこともあっただろう、

より子は一番の人気で、半数近いカメラを集めた。

そんなことが他のモデルの嫉妬を買ったのかもしれない。休憩の茶の時間のあと、ヌードを撮ることになっている、

と引率の世話人が切り出した。より子は何も聞いていなかった。一人か二人でいいんだ。もちろん足代はだす。

中で一番皆に顔の利いたモデル嬢が冷ややかな口調でより子に言った。

「『ポイズン』さん、貴女、お客さん集めていたんだし、どう?やってくれるわね。」

 

 夫だった啓一にヌードを撮られたことはあったし、緒方にも撮られているけれど、皆室内だったし、

こんな大勢の他人の前で全裸になるのは勇気のいることだった。しかも昼間の海岸はいわばパブリック、

公衆の中同然で、カメラだけでない人間たちの目もあった。しかし、こんな商売をしていれば、いずれは

こんな事態もあることを覚悟していたし、浜からずっと移動して島の、岩がちの磯で撮ることでより子は承知した。

行ってみれば、なかなか足場が悪い場所で、予め決められた時間も迫り、ともかくひたひたと

迫る上げ潮の中、岩の上で水着を脱ぎ、様々なポーズを周囲全周から撮られることになった。

次第にポーズの要求も図々しくなる。ヘアどころでなく、下つきのより子も庇い切れないようなローアングルが多く、

現像をどうするんだろうか、といった心配までしはじめたより子だった。今度は私も共犯になるのかもしれない。

そんな時、より子の腹に突き刺すような苦痛が襲った。ああ、困った。たまらない。

 ここから島のトイレはかなりの距離があったし、行き着くまで我慢し通す自信がなかった。

気付かれないように、と思っても、落ち着きのなさ、腹の音などで悟られていたかもしれない。

どうにも堪えられなくなり、より子は慌てる素振りを見せずに座位から立ち上がり、カメラの囲みをさりげなく抜けて、

波打ち際から注意深く水中の岩を踏み、海の深みへ入っていった。腰近くまで沈んだところで、更に沖へ向かって

泳ぎ出した。出来るだけ遠くへ出たかったが、もう堪えられなかったので、そのあたりで身を返し、

彼等が呆れてこちらを眺めているのを見詰めつつ、より子は立ち泳ぎのまま排泄した。

 

 望遠で自分を撮っているものもいた。それは仕方がない。ひょっとして、彼等の中で

海に入って来るものがいるかもしれない、という心配も浮かんだけれど、それはないはずだった。

水が凄く冷たい。夢中でここまで泳いだより子も、気が付いたら非常な水の冷たさに手足が痺れてきた。

ゆっくり戻りつつ、小便もついでに済ませた。カメラの群れはより子がぶるぶる震えながら水際から

上がってくるのを待ちかねて、更に激しく瞬いた。濡れそぼった裸の女は、なかなか彼等には魅力のある素材のようだった。

 笑顔が凍り着いていたようだった。岩の上で身体を拭いている間に、彼等は三三五五帰っていった。

時間も過ぎていたし、もう一度やろうという人間はいなかった。最後まで残ってバスタオルを巻いた姿のまま

戻る彼女に従った三人ほどの客に、より子は素直に謝った。

「ごめんなさいね、貴重な時間を潰してしまって。」

「泳ぎたかったんだろ、分かるよ、でも唐突だったな。」

黙ったままのより子に代わって別の初老の男も言った。

「美女だって、したいときは、するんだ。何も特別な身体じゃあないんだし。」

「寒かったしな。冷えたんだろ、腹が。」

もちろん、彼等は気付いていたのだ。なにもかも。ますますより子は

身の置きどころを失い、無口になった。

「なに、素裸だったのが良かったさ。パンツ履いてたら、もっと大変だった。」

皆も、彼女を慰めているのではないらしいことを悟って、あとは何も言わなかった。

 

 多分、これは誰か、あの日あの場所にいた男女のしくんだ罠だったのだろう、とより子は思う。

休憩の間に、私の飲み物に下剤を入れたのだろう。ともかく急激な体調の変化だった。あんなことは

これまで健康なより子にはなかったことだ。後日、より子が、多分水中で思いを遂げた瞬間の恍惚とした表情と、

泳ぎ戻ってくる途中の、すぐ後ろに黄色い澱が点々と多量に浮かんでいる望遠のショットを数枚、事務所に

送り付けてきた匿名の封書があった。ちょっとしたいたずら心のつもりなのだろう。すぐ破り捨ててしまった。

より子はこの失敗をまだ誰にも言っていない。

 物思いに耽っている間に電車は秋葉原に近づいていた。

隣りに座っている店長の手が、予想通り腰に回った。軽く触って、しばらくその感触を楽しんだようだった。

「さあ、ついたよ。」


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