(一)女海賊

 

  「ああ、それで分かりやしたぜ。そいつがベリだ。雌虎丸(タイグリス)の女海賊、まだ首を吊られていない海賊共のうちで、もっとも凶暴な女悪魔さね。お前さん、そりゃあ罪なことをしてくだすった。お前さんがちょいとその太い腕でやつのか細い首ねっこをへし折ってくれていりゃあ、今頃我々は西部大洋から南の沿岸を至極安心して航海することが出来たんだがね。」

アルガス丸の船長ティトはいかにも楽しげにその非難めいた言葉をあっさりとコナンに言って退けた。コナンもコナンで、自分の半年前の失態をそれほど悔やむふうもなく、周囲に群れる新しい仲間たちと打ち解け、自身を盛んに笑いものにしては興じている。

「なるほど、港の郡代が俺様を即刻首にした理由も今分かったぜ。いや、もともと海を全く知らない俺を戦さ船の司令官に命名した奴が悪いんだ。戦う敵の名前も顔も知らないで戦いの指揮を取れと言うようなものだからな。そうか、ベリか、だが、女悪魔にしちゃあなかなかの美人だったな。いや、機会があればまた顔を拝みたいものだ。」

「おいおい、そりゃあないぜ。海で奴に出会ったが最後だ。こんなちっぽけな貿易船なんぞ、それこそひとったまりもありゃあしない。荷は全部召し上げられた上で全員皆殺しさね。それとも、コナン、お前さんの顔で我々の命ごいでもしておくれかね。奴等、気違い虎よりもなお始末に負えない人殺し集団なんだが。」

「それは考えておこう。だが、船長の言うように奴がそれほど悪い海賊なら、逆に打ち負かして船を乗っ取ってもやろうじゃあないか。この船も、戦さ船ではないが船足は早いしひと通りの装備もあるようだ。」

「うむ、確かに我々は以前、襲ってきた海賊のやつらを追い返したことはある。けちな海賊船だった。だがベリの雌虎丸(タイグリス)だけは無駄だ。船足が違うし凄い大弓の射手を揃えているという。戦闘能力が桁違いだ。コナン、お前さんひとりで戦おうったって、どだい無理というもんだぜ。」

なるほど、頭ひとつ抜いたコナンが周囲の陽気な水夫たちを見回すまでもなく、彼等アルゴスの海の男達が命がけの激しい戦闘に向いていないことは自明だった。彼等は三人がかりでもこの鋼鉄の筋肉で出来上がったキンメリア人には太刀打ち出来なかった。彼がメサンティァの役人共に追われて、血刀を下げたまま半ば暴力的にこの貿易船に乗り込んできて居座ってしまったことに対して船長以下水夫達が拒むこともせず、何の表だった不満も現さずともかくも受け入れてしまったのは、ひとつにはその血の匂いすらする野獣めいた巨人に対してことを構えては面倒だという自信のなさがあったことは確かだった。

  もっとも、アルガス丸がその性格ゆえにこそコナンのような戦闘員を必要としていたことも確かであり、抜け目のないティト船長が子飼いの水夫達を押さえてでもコナンを許容したことはいろんな計算があってのことであった。しかし、長い航海にあっては狭いこの生活空間でのクルー相互の和み合いが重要であり、唯一のティト船長の心配はそこにあったのだが、彼の心配は杞憂であった。その面でもコナンはいかつい外面によらずその純真さと苦役をものともしないことで、新参者の謙譲こそなかったが、たちまちしたたかな水夫達全員の心を捉えてしまった。その上、船長自身も意外な面で彼を更に信頼してしまった。海は知らないと言っていたにもかかわらず、コナンは天性の勘と英知によってすぐこの二本マストのガレー船の航法を自分のものにしてしまったのである。

 

  大きくはなかったがなかなか優美な外観を持ったアルガス丸は、ジンガラ国とアルゴス国それに南方沿岸の港の間を往復している典型的な貿易船のひとつだった。コナンがメサンティアの桟橋からまさに船出しようとしているこの帆船へ修羅場を切り抜けて飛び乗ってきたこともなかなかいわくのありそうな登場ではあったが、長い航海の退屈しのぎのおりおりに彼が喋るわくわくするような冒険談の数々(コナンはなかなかひとをそらせない話し達者であった)は、彼がその若さにもかかわらず波乱に満ちた放浪と戦いを繰り返してきたことを垣間見させてくれるのには十分だった。その日も、コナンは半年前のジンガラ国、コルダヴァの港であった一件を話していたのである。

  「俺はその港で旧知の男が郡代をしていることを聞いた。で、奴にかけあってともかく一年ばかりの契約でジンガラの軍船の司令官に付けてもらうことにしたんだ。船長は別にいたから、操船のことは心配いらねえ。役回りは、ただ戦いのときの切り込み隊長ってわけだ。軍船といったって、このアルガス丸を多少けんのんにしたくらいのけちなガレー船だった。どうやら、バラカ群島に出没する海賊船共を追い回すための新設軍団だったらしい。まだそのへんの事情もよく知らずに、俺は慣れねえ海の戦闘服を身につけて港の桟橋あたりをうろうろしていた。そのときに妙なものを見たんだわ。」

新設の軍船の漕ぎ手として、コルダヴァの町の囚人達が引き出されてきていたのである。まさにコナンが見たのは、縦一列に繋がれて桟橋に引き立てられてきた裸の、奴隷めく一団だった。

「やつらのみすぼらしさときたら、見られたものではなかった。余程訓練をしっかりして体力もつけさせなければ、泥船みたいにゆっくりした船足の軍船しか期待出来ねえと思ったね。まあ、それは仕方がねえ。ところで、その列の一番後ろに繋がっていたのが、何だと思いねえ、若い女だ。もちろん他の奴等と一緒の素っ裸かだ。」

周囲の水夫達にからかわれつつも、女は当惑する様子もなく、むしろ前列の囚人達よりも堂々としてふてくされた表情だった。もっとも、そのほっそりとした見事な裸体はてひどい拷問の跡が歴然として痛々しかった。もともと女には目のないコナンは、その女の美しさに知らず目が離せなくなっていた。聞けば、つい先刻縛り首になったが、綱に食いつき喰いちぎって生き延びたという。女自身の希望でガレー船漕ぎとして死ぬまで使われることになったのだとコナンの傍らに来た刑吏は言った。コナンは怒った。

「何、俺さまの軍船の船底に若い女を繋いで櫂を漕がせる積もりだと!。そんなことが出来ると思うか!。」

その場で、コナンは女のいましめを切り、衣服を与えてやった。それは男もののゆったりとした貫頭衣で、女はコナンに特に感謝の意思を示すでもなく、自分を縛っていた麻の紐をうまく使って長い黒髪をたくしあげ、腰を括って目立たないなりに整えると、驚くほどの機敏さで周囲の雑踏のなかへ紛れ込んでいった。コナンが、自分が司令官の地位を解任されたことを知ったのはその日のうちだった。

「まあ、もともと宮づかえには向かねえんだ。郡代にも会えねえし、すぐ諦めてしまってそのけちな町におさらばしたってわけだ。もっとも、軍船に乗るための支度金のようなものはせしめていたし、ジンガラを抜けてアルゴスへ入るまでの路銀くらいはふところに残っていたわな。でも、それがけちのつきはじめで、博打を打ってもいつも負けるし、とどのつまりが妙ないさかいに巻き込まれて、メサンティアの生意気な裁判官の頭を叩き割ることになっちまった。」

その先はお前たちの知っての通りだと言わんばかりに、コナンは周囲のにたにた笑い続ける男たちをひとわたり睨み回した。なるほど、砂漠と山、そして荒れ地に半ばした森を走りひそみ、馬で駆ける生活には慣れているが、コナンにとって海は初めてだった。一度出るきっかけが女への甘さで失敗したのがつい半年前のことだった。コナンは、そして今、海もあながち悪くはないと思い始めていた。それがなぜなのか彼自身しかとは分かっていない。しかし半年前に見た女の強い印象と、それが海に属する女だということを今、彼がはっきりと知ったということが影響しているだろうことは、多分有り得ないことではないだろう。どんな形になるか、誰にも予想はつかなかったが、コナンが多分、もう一度彼女に出食わす運命にあるだろうということは船長ティトでなくとも薄々予想のついたことではあった。もっとも、それは、とりもなおさずこのアルガス丸に悪魔が降り、血にまみれるという不吉な予感でもあったのだが。

 

  こうしてアルガス丸は、変わりなく好い風に恵まれ、着々と南へ向かって進んでいった。来る日も来る日も、太陽はすさまじい熱気を船に送りつけてきた。三十に足りない船員たちは当面用のない二十の櫂が白く乾いて並ぶ中甲板や、積み荷の間でまどろみ、時には船の左手に延々と続くシェムのなだらかな海岸線を眺めて過ごした。そこには幾つかの町があったし、ことにアスラガン、最近の戦乱による徹底した破壊のあと、奇跡のように甦ったと言われた大都もその華やかな白い塔のきらめきで船員たちの心をときめかせたが、船は寄港しなかった。獰猛で用心深いシェムの商人と取引してもわずかな利益しかないと船長は苦笑いした。

  やがて進みゆく海全体が灰色に濁り、大櫂が動くほどの流れを大海へ押し出しているスティックスの大河のほとりに開けた、ケーミの黒い城邑が影を落としている広大な湾が行く手に現れた。しかしティト船長はそこへも入り込もうとはしなかった。この港へは、特に頼まれなければ、どんな船も寄ろうとはしないのだとこの老練の海の商人は言った。そこでは、陰欝な魔術師共が町を牛耳り、林立する神殿の中では、血まみれの祭壇から立ちのぼる生焼けのいけにえのなまぐさい煙の中で、彼等の恐るべき魔力が培われているのだ。

  そういわれれば不気味な程に巨大な城壁の下から、彼等の神セトを形づくった大蛇の鎌首を船首に彫った大小のゴンドラが現れ、大きな赤い花を髪に挿した裸の黒い女達が立ち上がって船員たちに呼びかけ、気取ったポーズを取ったときも、ティト船長はアルガス丸の舵を回そうとはしなかった。

  さて、いまや内陸には輝く塔が一つも見えなくなった。ステイジアの南国境線を通り過ぎ、クシュの沿岸を帆走しているのだった。アルガス丸の目標とした港と町々がその先にあるはずだった。クシュの海岸線に散在する黒人の王たちの町。船は繻子玉や絹、砂糖、真鍮柄の剣などを船倉に貯えていた。素朴な王達の取り巻きと交渉し、これらをクシュの産物、象牙やコプラ、銅の鉱石や奴隷、そして時には真珠などと交換するのだ。しかし、彼等が進む先々で目にしたのは、船影を見つけては歓喜して叫び、手を振る若い漁民達や娘達の姿ではなく、一雙の船の影もなく静まり返った村の廃墟ばかりだった。しかもそのうちの幾つかはまさに破壊され、なおくすぶり続ける王の高殿の残骸や、裸の黒人の死体が散乱する生々しい襲撃の跡だった。ティトは肩を落として言った。

「前はここでいい商いをやったんだ。こりゃあ、海賊のしわざだぜ。」

「それで、もし、俺たちがやつらと出会ったら?」

コナンは赤い鞘に収まっているアキロニア産の幅広の剣を抜きやすいように少し緩めた。「俺の船は戦さ船じゃあねえ。戦わずに逃げるのさ。船足だけは自信がある。」

「それで、逃げ切れなくなったら?」

「そりゃあ、戦うのさ。いつかも言ったが、俺たちは一度やつらを打ち負かしたことがある。今度はコナン、お前さんもいるし、大抵は負けることはあるめえ、相手がベリの雌虎丸でなければな。

「だが、多分、俺が読み違えているのでなければ、ここ数日見てきた村々の破壊や殺戮はまさしくやつらのしわざだぜ。でなければ、あれほど徹底したやり方を見せつけることはあるめえ。」

船尾甲板の下から、ティトは刺子の胴着や鋼の兜、弓、そして矢などを運び出してきた。「追い着かれちまったら、逆らったってどうしようもないんだがね。」

彼はこぼすように付け加えた。

「だがね、戦いもしないでいのちを諦めちまうってのも、腹の立つことでね。」

 

  見張りが敵の姿を見つけて絶叫したのは、翌日、ちょうど日の出の時だった。右舷の方向にある小さな島の長く突き出た岬を回って、海蛇のように長い、特徴のある船首を持ったガリー船が滑るようにして出現した。船首から船尾にかけて一段と高い甲板が走り、片舷に四十づつの櫂の動きが見事に統べられて、その小さくもない船を速やかに駆っていた。甲板の低い手摺りは、ずらりと黒人の射手が並んで大弓を長円形の盾に打ちつけながら声高く歌っている。そのぞっとする調べが既にはっきりと聞き分けられる。高いマストの頂点からは真紅の三角旗がなびいていた。

「ベリだ!雌虎丸(タイグリス)だ!」

ティトが顔色を失って呻いた。

「急げ!取り舵一杯だ!あの入江へ入るんだ!やつらが追いつくまでに岸に着くことができたら、生命だけは何とかなるかもしれないぞ!」

アルガス丸は急速に方向を変えることに成功すると、一番近い、椰子の木が縁取っている島の海岸に打ち寄せている磯波の白い線に向かってひたむきに急いだ。ティトは甲板上を行ったり来たりしながら息をあえがせている漕ぎ手達にもっとピッチをあげろと怒鳴り続けた。明け方の凪のなかで、大きな帆はむしろ邪魔だったが、わずかな風をもうまくつかもうと帆綱を引く老練の水夫を押し退けたティトは自ら帆を操作しはじめ、うまくいかないことにいらだって激しく自分をののしった。

「弓をくれ。」

敵の様子を眺めていたコナンが言った。

「男らしい武器とは思わないが、ヒルカニア人の間で暮らしていたときに弓術を習ったことがあるのさ。それに、向こうの甲板にいる何人かを射殺すことが出来りゃあ、あとの戦いも少しは楽になるだろうしな。」

  後甲板に立ちはだかると、コナンは水の上を軽々と滑ってくる敵の船を見据えた。アルガス丸が逃げ切れないことが、陸の男であるコナンにもはっきりと読み取れた。既に海賊共の弓を放たれた矢が鋭い音をたてて船尾のすぐ近くの海面に落ちている。

「止まれ、止まって戦ったほうがいい。」

キンメリア人が怒鳴った。

「さもなけりゃ、俺たちは皆、やつらに一撃も見舞ってやるひまもなく、背中に矢を射られて全滅してしまうぜ。」

しかし、コナンの言葉も死神の接近に怯え、無我夢中で逃れようとしているティトやアルガス丸の漕ぎ手たちの耳には届かなかった。

「野郎ども!もっと漕ぐんだ!」

ティトが荒々しくこぶしを振り回してわめき続ける。漕ぎ手たちは唸り声を上げ、櫂にすがってあえいでいた。船首の拍子を取る水夫の声も涸れ、もう彼等の体力が限界に来ていることが誰にもはっきりと理解出来た。容赦のない追跡者は次第に距離を縮めてくる。首を射抜かれた舵取りの一人が声をつまらせながら大櫂の上を横切って海へ落ちていった。コナン達の船から目指す岸までは、まだ一マイル以上離れている。ティトは落ちた舵取りの立場を守るべく、その危険な船尾へ飛び移った。コナンもすでにその激しく上下する船尾甲板の上にいて、両足を大きく開いて立ちはだかり、弓を持ち上げた。今や、相対する海賊共の様子は手に取るように見ることが出来る。舷側に高く掲げられた盾の列によって漕ぎ手たちは保護されていたが、その上の狭い甲板の上で踊り狂っている戦闘員達の姿はまるみえであった。彼等は殆ど全裸で、体に極彩色の塗料を塗りたくり、様々な羽根飾りをつけ、槍と斑模様の楯を振り回していた。

  船首に設けられた高い物見台、船橋の上に、三人の人影が見える。中央のほっそりとした白い肌の姿形は、両側の光沢のある黒い膚のいかつい体と強い対照をなしていて、コナンには目がくらむばかりに映った。疑いもなく、それはベリだった。名高い悪の美神。コナンはティトの弓を殆ど極限まで引き絞った。それから、ベリの右の見事な羽根飾りをまとった背の高い戦士の顔を射抜いてやった。ベリを含めた残りの船橋の人影は微動もしなかった。コナンは二本目の矢をつがえ、二人目の犠牲者に左の戦士を選んだ。コナンの確実な弓の技はその幅広の右胸を貫いた。しかし、女悪魔と言われたベリの影はそのままだった。コナンは横を向いて唾を吐き、甲板の戦闘員へ矢を放ち始めた。

  海賊船は次第に軽装船に追いついてきた。矢が船の周囲に降り注ぎ、男たちは恐怖に震え、悲鳴がいたるところであがった。大櫂取り達や船首の水夫達は一人残らず針刺しの様になって転がり、ティトがただ一人で重い大櫂を操っている。やがてむせび泣くような声とともにティトは櫂を持つ手を離してその場に崩折れた。長い矢柄が彼の強かった心臓のまうしろで震えていた。漕ぎ手や、残った水夫達は混乱しはじめ、叫び声を上げた。コナンは彼独特のやり方で指揮をとった。

「みんな、甲板へあがれ。」

矢をつがえては放ちながら、コナンは怒鳴った。

「それ、もうどれほど漕いだって何にもなりゃあしねえぞ。やつらはいずれこっちへ乗り移ってくるんだ。弓を持て!剣を持て!あの畜生めらが俺たちの船に乗り移るまでに、矢を一本見舞って海へ突き落としてやるんだ!俺たちが喉をかっ裂かれるまでに、やつらに何太刀か浴びせてやるんだ。」

  絶望にかられつつも、水夫達は櫂を捨てると争って武器をつかんだ。勇敢な行為ではあったが、彼等には何の役にもたたなかった。既に遅かったのだ。次の瞬間、襲撃者の船の鋼鉄の衝角が、櫂の主を失って腹をむけた犠牲者の船に激突したのだった。あおりを食って転がった水夫達の真上から、海賊共の船の見上げるように高いふなべりから矢が雨のように降り注ぎ、あわれな男たちの刺子の胴着を射抜いた。同時に何本もの鉤棹が延びて舷側に打ち込まれて引き寄せられる。そして海賊共は手に手に槍を持って虐殺の完璧を期する為に飛び移ってきた。再びさかまく叫喚のうずが……。

  アルガス丸の船上の戦いはあっけなく短い、しかしむごたらしくも血塗られたものであった。アルゴスの頑丈な、しかしずんぐりとした海の男たちは戦い慣れたベリの戦士共の敵ではなく、一人残らず切り倒されていった。しかし、別のところでは、戦いは奇妙な様相を呈していた。大きく傾斜した船の後部甲板にいたコナンは海賊共の甲板とほぼ同じ高さになって、敵船の衝角がぶつかったときも、コナンは両足をふんばってその衝撃に耐え弓を放り投げると腰の長剣を抜いた。手摺りを跳び越えてきた裸の海賊は、空中でキンメリア人の幅広の剣とぶつかった。剣は見事に男の胴を切り離し、上半身は手前の甲板に転がり、残りの下半身は海へ落ちていった。続いて乗り移ってきた数人の戦士共も似たような運命をたどった。そのあとに移ってくる敵はなかった。怒りを爆発させたコナンは、手前の船べりにずたずたにした死体の山を残して、手摺りを跳び越え、雌虎丸の甲板に立っていた。

  息を継ぐ間も与えられず、コナンは次の瞬間には突き出される槍、打ち降ろされ、振り抜かれる鉄の棍棒の嵐のただ中にいた。しかし、コナンはその巨体そのものが風音をたてて唸るかのように素早く動き、跳び回った。海賊共の槍はその肉を突かず虚空をつき、あるいは手応えを感じた棍棒は彼の鎖の刺子の下のしたたかな筋肉の弾力によってあっけなく跳ね飛ばされた。それらの代償として、海賊達はあるいは、頭を断ち割られて脳漿を吹き出し、手足をばらばらにされて空中に舞って転がり、臓物を甲板に飛び散らせた。彼の種族特有の、狂気のような闘争本能がコナンを支配していた。理性を失った怒りの赤い霧が彼の燃えたぎる二つの瞳にゆらめき、やがてその周囲に幾つとも知れぬ死体の山を築いて、仁王立ちになったコナンに恐れをなした敵の男共が後退を始めるまで、その殺勠は続いた。

  数歩の隔たりを介して、まだ元気な海賊共が一斉に槍を振りあげた。鎧と鎖かたびらのためにわずかな傷しか受けなかったコナンも、当然ながら疲れ、疲れ切っていた。しかしなおもあからさまな殺意を見せたそれらの海賊共へ最後の力と気力を振り絞って切り込まんと、コナンが凄まじい形相を見せて身構えたまさにその時、鋭い叫び声が敵と敵とを凍りつかせた。黒い海賊共は槍を投げつけようとする格好でそのまま留まり、コナンは血の滴る剣を半ば振り上げたままで立ち尽くしていた。

 

  白い、すらりとした長身の女が唐突に海賊達の前に走り出た。海賊達は槍を下ろした。彼等の間から敵へ向かって放射していた激しい敵意が急速に失われていくのをコナンは知った。コナン、彼自身も、その女を眺めるうちに狂気のような激情が収まってくるのを感じていた。ベリだった。彼女は近くの戦士に短い言葉で、敵との間に折り重なった死体をどけるように命じ、彼等が目前の敵を恐れつつもともかく命ぜられたことを遂行し終えるのをもどかしげに見送ると、その血だまりの中を臆するふうもなくコナンに近寄った。

  ベリは怒っているようだった。その剥き出しの胸は荒々しく上下し、薄く削げたような腹もまた激しく起伏していた。腰近くまで届く長い黒髪が凪の終わりの風にゆらめいて紅潮した顔の半ばを被っていたが、そのぎらぎらと光る切れ長の強い二つの瞳はコナンを見詰めて痛いばかりにその力を発揮していた。しかし、コナンはまた、男の故に自分の一歩先にすくと立った全裸に近い見事な女の肉感に心臓を捉まえられてもいた。女の身につけているものはただ、粗いモールを垂らした金繻子の細い腰布と一条の首飾りだけ、その象牙色の上向いた乳房も、アクセントのきいた女らしい腰の線も、すべやかに長い手足もすべてコナンの前に剥き出されていた。血と臓物の切れ端で汚れた甲板に立つ形の良い足もまた跣足のままだった。

  コナンはまた、半年前の彼女の印象をそれに重ねて思い起こしていた。あの時よりもずっと美しく、若い。無理もないだろう。あの時、この女はむごい拷問を受け、そして縛り首にされて死ぬ寸前だったのだ。半ば近く生命力を搾りつくして衰弱していた筈だった。今の気力の充実がその女としての美しさに現れているのは当然だった。

  だから、油断は出来ぬ。危険窮まりない悪魔、死の雌虎と言われる女だった。どんな罠をたずさえているか分からないのだ。その美しい瞳の冷たいきらめきを見ろ。かつてその地獄から彼女を救ってやったというコナンの自負が彼女の心に何の痕跡も残していないことも充分有り得るのだ。なにしろ、悪魔なのだ、この女は。コナンは考えていた。あの絶妙の時機を狙った介入は、むしろコナンには不利に作用した。彼が剣を振り上げたとき、海賊共の顔が恐怖に硬直したのを見たのだった。恐らく彼女は自分の海賊が壊滅の危機に瀕したことを機敏に悟ったのだろう。そうだ、これは罠だ。用心することだ、コナン。女は更に鋼鉄の虐殺者に近寄った、そのすべやかな太腿が血の滴る剣に触れるほどに。よほどコナンはこの裸の女を腕に巻き込み、引きつけて逃亡の為の小舟を要求しようかと思った。しかし出来なかったのは、やはりその女悪魔の犯しがたい力のせいに違いなかった。

「おまえは、何者だえ?あたしの大事な男共をもう、十五人も殺してしまった。どうせは死ぬことになるおまえが、なぜそんな無駄な抵抗をする?」

乾いた女の声だった。ほどよく自制の利いた、しかしりんとした強いそのやや高めの美声はよく通る、容赦のない力を持っていた。

「お前達次第だ。お前達海のならずものは、罪もない俺様の仲間を三十人も殺してしまった。数えてもいなかったが、俺がお前の仲間をこれまでに十五人殺したのなら、俺はまだこのあと十五人殺す権利があるだろうよ。」

コナンも負けず言い返した。彼は死を恐れなかった。来るなら来い!再び戦いになってもよい。この女には、しかし妙に逆らえない魔力のようなものがあった。コナンの青い瞳から狂気と殺意の色が去っていくのと同時に、女の黒い瞳に燃えていた怒りの色も次第に消え始めていた。ちいさめの赤い唇を半ば開き、ベリはこの鋼鉄の危険な巨人の顔を食い入るように見詰めていたが、やがてその意識の底から、ひとつの記憶が甦ったようだった。

「おまえを知っている。おまえは殺せない。」

低くつぶやくと、くるりとこの危険な敵に剥き出しの背中を向けた。そのまま両手をあげて静まり返った彼女の戦士達に向かって声高らかに話し始めた。

「聞け、お前たちも知っての通りだ。この戦いで戦士達と共に我等のジアンも、ダグラも死んだ。強かった戦士達が多く死に、しかしまた、別の強い男が現れた。もう戦いは終わりにする。分かったな、この男はいまから仲間だ!」

  コナンは自分の意思が無視されたことに対して怒りは感じなかった。失望と怒りの表情を求めて周囲に群れる戦士達を見回した。しかし彼等の黒い顔には何のしるしも現れてはいなかった。コナンはベリの意思が彼等海賊たちにとって絶対のものであることを驚きとともに実感したのだった。

 

  ベリの簡単な指示で、戦士達はすぐ、機敏な水夫達に戻った。半ば沈みかけた悲運のアルガス丸の積み荷がてきぱきとしたさばき様で雌虎丸の船倉へ移されていく。傷ついた戦士達は中甲板に横たえられ、手当が始まる。マストを背に座り込んだコナンにもヌヤガと言われた老人がついて傷口を見るので鎖かたびらを脱げと言われる。油断なく長剣を手元へ引き寄せたコナンを見て、横に立つベリがたしなめた。

「あたしが信用出来ないの?それとも、海に一人で流されたいの?」

コナンはじろりと女を見上げた。

「しっかりした証拠を見せろ。おまえが本当に俺の味方だという証拠をな。」

ベリがなぜか笑ったように見えた。コナンは顔をそむけた。

「あたしが証拠を見せたらどうするって?あたしはもう決めているんだよ、おまえがこの船にいて、ずっとあたしと一緒にやっていくことを。」

そういったあと、ベリはコナンをみつめたままでゆっくりとその巨体の上へかぶさって来、膝立ちに男をまたいだままで、殆ど触れ合わんばかりに顔を近づけた。そのまま唐突に唇を奪い、男がその裸の腰を抱こうとすると素早くそれを避けて立ち上がった。

「ヌヤガ、お願いね。」

コナンの眺める中で、中甲板のベリは実に精力的に動き回っていた。主として傷ついた戦士達の介抱と元気づけだった。もう望みのないもの、手足をなくしたりして役に立たなくなったものには特に優しく、抱き締めることもしばしばだった。彼等は死者と同じく、やがては船の周囲に群れ寄った鮫共の餌食にされるのだった。しかし、元気な男達(もちろん、コナンのように、傷ついたとはいっても日常に支障のない男たちも含めて)に自ら媚を売ったり、体を触れさせたりすることは全くなかった。海賊達も不思議に思えるほど規律を守っていた。だとすれば、つい先だっての自分に対するベリのくちづけは何を意味したのだろう。

「おまえさんは、王になるのさ。女王の新しいつれあいに。」

ヌヤガと呼ばれた老人が言った。

「古いやつらが黙ってはいまい?」

コナンがそう尋くと、ヌヤガは黙って首を振った。

「ベリは女王だ。最高の女なんだ、いや、女神といってもよい。ベリは自由の女だ。」

 

  夕刻近く、空船にされ、船底に穴を開けられたアルガス丸が音もなく藍色の海へ沈んでいった後、全ての戦いの始末を終えた海賊船はゆっくりと南へ帆走を始めた。男たちがくつろぐ中、ベリが船尾甲板の高みへ上がってきた。いつ調えたのか、長い黒髪を後ろにまとめてたくしあげ、透けるようなレースの短いスカートをつけ、そして手首足首にはきらきらと大小の宝石が光るリングが嵌められていた。しかし、一番目だって光り輝いていたのはその夜の雌豹にも似た二つの瞳だった。茫然と見上げるだけのコナンのすぐそばに立ち、爪先だってすらりとその長い両腕を高く頭上へ伸ばす。くるりとそのまま回って見せる。全船の男たちが彼女の姿を注視し、固唾を呑んで見守っている中へ叫び、語りかける。

「蒼海の狼たちよ、この踊りを、アズカルドの王たちの裔、ベリの踊りを見るがよい。死者たちのたましいを慰め、生き残ったものたちを再び戦いへ誘う気力を呼び覚まし、真の勇者の愛を呼び覚ます踊りを……。」

  そしてベリは踊った。最初はゆっくりと、そのしなやかな躯が最大限にしなり、まるでコブラのダンスのような危険なまでの妖艶さを漂わせて。しかしそれは次第に早い動きに取って代わり、鎮めがたい炎のように、砂漠に舞うつむじ風のようにベリは動き続けた。船尾甲板から中甲板へ、そして危険な細い渡り板の上へも彼女は跳ね上がり、動きつつ舞って回った。やがて透明な蒼いビロードのような夕暮れがあたりを包み、天空に星々がまたたきはじめて、ベリの舞い狂っている象牙色の躯を薄暗い炎のようにして見せた。一瞬短い狂気のような叫び声とともに、船尾甲板へ戻っていた彼女はコナンの足元へ身を投げるようにして倒れ伏した。いつのまにかその身につけていた飾りものも、腰帯すら脱ぎ落として生まれたままの姿であえぎ続けるベリの肢体を、キンメリアの勇者はめくるめくような欲望の洪水のなさしめるままに抱き寄せ、抱き締めた。
                        (二)死の河へ
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